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2012年04月23日

アマノイワトヒラク

この1年の間、実に様々なことがありましたが… 久しぶりのブログ投稿になります。

さて、知る人ぞ知る… 僕は宇宙戦艦ヤマトの大ファンです。

自分自身の中では 2010年暮れの木村拓哉さん主演の実写版公開を最後に
宇宙戦艦ヤマトへの一応の区切りはついたのだと決めていました。
そう思ったのと時を同じくして 2011年を迎えてからの環境は少しずつ変わって行き
また、田舎で一人暮らしをしていた 母の容態が心配で 頻繁に高知へ帰郷しました。
そんな落ち着かない一年ではありましたが 、振り返ってみれば2011年という年は
今までで一番 母に対して親孝行が出来た年でもありました。
たった一年前のGWには 山菜採りが大好きな母を連れて高知の檮原の山に行きました。
2010年の暮れに癌の手術をしたとは思えないぐらいに元気で山を登り山菜を採り続ける母。
しかし その後まもなく再発… 入退院を繰り返していた母は
2011年11月2日の夜に自宅で一人テレビを見ながら亡くなりました。

実は、二十世紀末に いろいろとあって、母に一度は勘当されましたが
でも、母宅を整理している際に ヤマトのレコードやら本やらがたくさん出てきて…
なんだかんだ言っても ずっと大切にしていてくれたんだなと 嬉しく思いました。
高校の頃、島倉千代子さんの大ファンの母と「サーシャわが愛」をステレオで聴いたりとか
母子家庭で貧乏だったのに ヤマトのレコードや本は無理してでも買ってくれたりとか
あらためて母への感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2011年の後半頃から、ヤマト復活篇のディレクターズカット版と2199の話題が広がる中
全く関心が無かったわけではありませんが、ホントに心から熱くなれなかったのです。

2199 Yamato Girls
今年になって たまたま あることがきっかけで イラスト投稿サイトのpixivに登録し
宇宙戦艦ヤマト2199のイラストを描いて投稿したりで 気持ちが高まっていきました。
でも、どうしても 自分が思い描くヤマトを期待してしまう…
誰でもそういうのはあると思いますけれど…

2199 Yamato Girls 2
しかし、2199の音楽を宮川彬良さんが担当すると知らされた時には全身が震えました。
あの瞬間に 初めてヤマト2199を観てみたいと思いましたね。
事実、第一章において この曲をあの場面で流してくれるなど… 感動ものです。

まぁ、僕の一番の希望としては、最終章には無理だとしても せめて 第四章か五章ぐらいに
大好きな熊木杏里さんにエンディングを歌っていただければ それ以上の幸せはありません。

公開から5日目にして ようやく劇場で観ることが出来ましたが
宇宙戦艦ヤマト2199は 本当に良い作品だと思います。
ただ、古代進が熱血ぽくない!のが気に入りませんが(笑)
でも、たまに土佐弁なまりの出る古代進なので(爆)、懐かしく故郷を思ったりしています。

父が他界した次の年に誕生した宇宙戦艦ヤマト。
それから僕にとってヤマトの存在は父そのものでした。
そして… 最後に母への親孝行の機会と親子の絆を再確認してくれた宇宙戦艦ヤマト…
まだまだヤマトとともに 僕の人生は あり続けるようです。\(喜)/

…と いうわけで、真夜中に突然のブログ復活でしたが
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ではでは(^o^)/

がんばれ!チームてんこもり!!
てんこもりバレーボールもヨロシクスマイル   


Posted by KURACHAN♪ at 00:58Comments(0)お知らせ