「きらめき☆てんこもり♪」は、「ふれんどらいん」を運営している江井島広告制作の代表「KURACHAN♪」がお届けするインスピレーションと知識の共有の場所です。 広告デザインはビジネスの成功において重要な役割を果たすとともに常に変化し続けています。 このブログでは、長年の経験と洞察力を基に業界の最新動向やトレンド、クリエイティブなアプローチに焦点を当て、読者の皆様に価値ある情報を提供します。

2024年03月23日

楽しいデザイン制作

デザイン業界での業務に携わって40年。

ここまでの人生を振り返ると 挫折や絶望も経験しましたが、やはりデザイン制作業務は本当に楽しく充実したものであると思う今日この頃です。

デザイン制作イメージ

何よりもデザイン制作は、クリエイティビティを発揮できるフィールドとして、常に新しいアイデアやアプローチを試すことができます。

その中でも、特に楽しいと感じることをいくつか書いてみます。


新しいプロジェクトに取り組む際、顧客の要件や目標に沿ってクリエイティブな解決策を考えるのが楽しいです。
時には挑戦的なデザイン課題に直面することもありますが、その過程で自分のスキルを試し成長することもできたりします。

制作の過程で、さまざまなツールやテクニックを試すことができます。
新しいソフトウェアやテクノロジーを学ぶことは常に刺激的であり、自分のスキルセットを向上させるための素晴らしい機会です。

プロジェクトが完成し、デザインが実際の製品やサービスに反映されるときが最高に素晴らしい瞬間です。
自分のアイデアや努力が形になって具体的な成果となった際には喜びと充実感に満ち溢れます。

デザイン制作業務では、顧客やチームからのフィードバックを受け取り、それに基づいてデザインを改善するプロセスも楽しいです。
他の人の視点やアイデアを取り入れることで、より優れたデザインを生み出すことができます。

デザイン制作業務では、プロジェクトの初期段階でアイデアをブレインストーミング(集団発想法)をすることがよくあります。
チームメンバーとアイデアを出し合い、それらを組み合わせて新しいコンセプトを生み出す作業などは とても有意義に感じます。
それが 非常に楽しすぎるので、このたび 明石江井ヶ島の海賊レストランでのクリエイティブ学習空間を始めました。
Webサイトにて 日程が決まり次第お知らせしていますので、お気軽にご参加ください。

海賊食堂が学習空間に|MUGEN.SPACE


クリエイティブなフィールドであるため、常に新しい挑戦や発見が待っていますし、その過程で自分自身も今でも成長できると感じられることが とても魅力的ですね。
時には厳しいこともありますが、基本的には いつでも楽しいと思える仕事に従事することが出来て本当に良かったです。

あとは 何年続けられるかですが、目が見えて手が動かせる限りは この道でプロとして生きていきます。


  


2024年03月08日

アマノイワトヒラク(天岩戸開く)

天岩戸開きは、光と闇、生命と死、そして新しい始まりの象徴として、日本文化の中で長く語り継がれています。
天照大御神が岩戸から出てきたことにより、世界は再び明るさを取り戻し、人々は困窮から解放されました。
このことは、困難な状況から立ち直り、新しい時代を切り開くための希望の象徴として解釈されています。

天岩戸神社

本日 たまたまかもですが、このアマノイワトヒラクという言葉を いろいろなところで目にしました。

12年前に しばらく休んでいたブログを再開した際に書いた記事を再度ご紹介いたします。
この記事には、大好きな宇宙戦艦ヤマトへの深い愛情と、母への感謝の気持ちが込められています。
思い出深いエピソードや、宇宙戦艦ヤマトに対する熱い想いが、そのまま綴られています。
2000年にデザイン会社を潰してから12年目にして再び起業したのですが、奇しくも それからまた12年経って このアマノイワトヒラクが甦りました。
ぜひご一読ください。

タイトル:アマノイワトヒラク

この1年の間、実に様々なことがありましたが… 久しぶりのブログ投稿になります。

さて、知る人ぞ知る… 僕は宇宙戦艦ヤマトの大ファンです。

自分自身の中では 2010年暮れの木村拓哉さん主演の実写版公開を最後に
宇宙戦艦ヤマトへの一応の区切りはついたのだと決めていました。
そう思ったのと時を同じくして 2011年を迎えてからの環境は少しずつ変わって行き
また、田舎で一人暮らしをしていた 母の容態が心配で 頻繁に高知へ帰郷しました。
そんな落ち着かない一年ではありましたが 、振り返ってみれば2011年という年は
今までで一番 母に対して親孝行が出来た年でもありました。
たった一年前のGWには 山菜採りが大好きな母を連れて高知の檮原の山に行きました。
2010年の暮れに癌の手術をしたとは思えないぐらいに元気で山を登り山菜を採り続ける母。
しかし その後まもなく再発… 入退院を繰り返していた母は
2011年11月2日の夜に自宅で一人テレビを見ながら亡くなりました。

実は、二十世紀末に いろいろとあって、母に一度は勘当されましたが
でも、母宅を整理している際に ヤマトのレコードやら本やらがたくさん出てきて…
なんだかんだ言っても ずっと大切にしていてくれたんだなと 嬉しく思いました。
高校の頃、島倉千代子さんの大ファンの母と「サーシャわが愛」をステレオで聴いたりとか
母子家庭で貧乏だったのに ヤマトのレコードや本は無理してでも買ってくれたりとか
あらためて母への感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2011年の後半頃から、ヤマト復活篇のディレクターズカット版と2199の話題が広がる中
全く関心が無かったわけではありませんが、ホントに心から熱くなれなかったのです。

今年になって たまたま あることがきっかけで イラスト投稿サイトのpixivに登録し
宇宙戦艦ヤマト2199のイラストを描いて投稿したりで 気持ちが高まっていきました。
でも、どうしても 自分が思い描くヤマトを期待してしまう…
誰でもそういうのはあると思いますけれど…

しかし、2199の音楽を宮川彬良さんが担当すると知らされた時には全身が震えました。
あの瞬間に 初めてヤマト2199を観てみたいと思いましたね。
事実、第一章において この曲をあの場面で流してくれるなど… 感動ものです。

まぁ、僕の一番の希望としては、最終章には無理だとしても せめて 第四章か五章ぐらいに
大好きな熊木杏里さんにエンディングを歌っていただければ それ以上の幸せはありません。

公開から5日目にして ようやく劇場で観ることが出来ましたが
宇宙戦艦ヤマト2199は 本当に良い作品だと思います。
ただ、古代進が熱血ぽくない!のが気に入りませんが(笑)
でも、たまに土佐弁なまりの出る古代進なので(爆)、懐かしく故郷を思ったりしています。

父が他界した次の年に誕生した宇宙戦艦ヤマト。
それから僕にとってヤマトの存在は父そのものでした。
そして… 最後に母への親孝行の機会と親子の絆を再確認してくれた宇宙戦艦ヤマト…
まだまだヤマトとともに 僕の人生は あり続けるようです。\(喜)/


オリジナル記事 きらめき☆てんこもり♪ アマノイワトヒラク(2012年4月23日投稿)


「宇宙戦艦ヤマト2199」の記事における「アマノイワトヒラク(天岩戸開く)」の解説

アマテラス(サーシャ)の太陽系到来を司令部へ知らせるに際し、戦艦キリシマの沖田が用いた符牒(仲間うちだけに通用する言葉。隠語。合い言葉)。『岩戸隠れ』伝説では、天岩戸が開けられ天照大神が外へ出たことによって世界が再び明るくなったとされる。
出典 https://www.weblio.jp/content/アマノイワトヒラク

「高知のうまいもん、食べてみいや!」 高知県出身の声優・小野大輔さんが地元の「海の幸・山の幸」の魅力を土佐弁で紹介!


  


Posted by KURACHAN♪ at 21:40Comments(0)僕をたどる物語

2024年02月26日

風と波の記憶 江井ヶ島での二十年

明石の江井ヶ島に住んでから、もうすぐ二十年が経とうとしています。ここでの生活は、心に深く刻まれた思い出で溢れています。
それと同時に、初めて足を踏み入れたときから、この場所でずっと住んでいこうという気持ちになったことを思い出します。

江井島港

当初は、新しい環境に戸惑いもありました。しかし 次第に、江井ヶ島の自然の美しさに魅了されていきました。二十年の間に、この土地での生活を楽しむ方法を身につけました。町内の散歩や、自宅から5分ほど歩いて行ける海を眺めたりして、静かで風光明媚な海岸線、酒蔵のある町並みなど美しい景色に触れる機会を得ました。そして温かい地域の人々とのふれあいは、僕の心を癒し、これまでに経験することの少なかった人並みの豊かさに近い日々を送る源となりました。

また、地域のコミュニティに参加することもありました。江井ヶ島の海岸清掃など地域の団体に参加したりすることで、この土地の人々との絆を深めてきました。少年自然の家などでのイベントにもたくさん参加しました。
子どもが小中学生の頃には学校の行事を見学に行ったり、部活動の対外試合などの引率の役目もさせていただいたりしました。
これからは もっともっと地元の飲食店や商店でも顔なじみとなり、地域社会の一員として完全に認められることを目標にしています。

僕は江井ヶ島に来るまでは、居住が定まらず何度も引越しを繰り返してきました。古民家であったり、アパートやマンションであったり、そこそこの豪邸であったり、牛小屋みたいなところだったりと、実に様々です。

人生を辿っていくと、実に波乱万丈ではありましたが、生まれ故郷の高知で建立した墓に母の遺骨を納めた後、ふたたびデザイン業を営むことを決めて明石の江井ヶ島の地で開業し、今日に至っております。
2000年に上海や福岡、信州などを転々としていた時代には「放浪するは我が人生」と言い続けていました。しかし、今はもうそれは当てはまりません。江井ヶ島での二十年の生活は、僕に最低限の安定と大きな満足をもたらしてくれました。

江井ヶ島の美しい風景、あたたかい人々、そして この場所で充実した日々を送れていることに 感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも江井ヶ島で過ごす毎日が、ますます幸せで充実したものとなることを願っています。

江井ヶ島海岸

是非 ご参加ください 海賊食堂が学習空間に│MUGEN.SPACE

あわせて ご覧ください 明石江井ケ島より
  


Posted by KURACHAN♪ at 17:17Comments(0)僕をたどる物語

2024年02月20日

YouTubeの進化と未来:動画共有プラットフォームの軌跡、展望、そして課題

YouTubeは2005年に誕生して以来、インターネット上で動画を共有するプラットフォームとして、急速に成長しました。
その軌跡は、独自のコンテンツ制作、広告収益モデルの確立、そして世界中の人々による動画共有の場としての役割を含んでいます。

動画編集

YouTubeの役割は多岐にわたります。
まず第一に、動画共有プラットフォームとして、個人から企業まで、誰もが自分の動画を簡単にアップロードし、世界中の視聴者と共有することができる場を提供しています。
また、YouTubeはエンターテイメントの主要な源となり、ミュージックビデオ、バラエティ番組、ドキュメンタリー、Vlogなど多様なコンテンツが視聴者に提供されています。
さらに、YouTubeは情報や教育的なコンテンツの場としても重要であり、チュートリアルや講義、ドキュメンタリーなどが豊富に提供されています。
そして、YouTuberと視聴者の間でのコミュニケーションが活発であり、コメントやライブ配信を通じてリアルタイムのやり取りが行われています。

YouTubeの過去と現在を比較すると、いくつかの違いが見られます。
例えば、プロフェッショナリズムの向上が挙げられます。以前はアマチュアのコンテンツが主流でしたが、今では多くのプロフェッショナルなコンテンツクリエイターや企業がYouTube上で活動しています。
また、YouTubeの規模はかつてないほど大きく、世界中の人々が日常的に利用しています。広告収益モデルも成熟し、クリエイターにとっての収益源となっています。
さらに、YouTubeはAI技術を積極的に活用し、個々の利用者に最適化されたコンテンツを提供しています。

今後の動向としては、YouTubeに対抗するため、他の動画共有プラットフォームが台頭しています。
ライブ配信の人気が高まり、YouTubeもこのトレンドに追随しています。インタラクティブなコンテンツの増加や、VRやAR技術の普及も期待されています。


15年前、てんこもりで【ふわりんの…光の中へ】というブログを書かれていた ふわりんことエンジェル恭さん。
そんな彼女がCDデビューされた際にプロモーションビデオ的な動画を作成しYouTubeにアップしました。

フリー素材として使用できる彼女に似たモデルさんの画像サイトを見つけたので、そちらの画像と風景なども他の素材サイトから探して、それらを何枚か組み合わせて作成したのが こちらの動画です。



昨今のクオリティと比較すると かなりシンプルな感じですが、動画全体にスピリチュアルな雰囲気も醸し出されていて、そこそこ評判は良かったです。夕日でモデルさんの顔が赤みかかった画像をPhotoshopを用いて加工するなど随所で最低限の工夫は施しました。

その後、クリスマス会で使いたいということで冬バージョンを作成しましたが、こちらの方はクリスマスを意識し過ぎたのか 登場する人物も なんとなく若めにしてしまったので、ご本人がイメージしていたものとは違っていてイマイチだったような気がします。





YouTubeは、動画共有の先駆者として数々の成功を収めてきましたが、その成功にはいくつかの課題や問題点も存在します。

まず、著作権の問題が挙げられます。
YouTubeでは、コンテンツクリエイターが自分の作品を投稿する際に、著作権の侵害に関する注意を払う必要があります。
しかし、時には著作権に関する紛争や侵害が生じることがあり、これはYouTubeやクリエイターにとって課題となっています。YouTubeは著作権侵害を防ぐために様々な取り組みを行っていますが、完全な解決には至っていません。

また、プラットフォーム上での過度な過激なコンテンツやヘイトスピーチ、暴力的なコンテンツなど、コンテンツの品質や安全性に関する問題もあります。YouTubeはこれらの問題に対処するためにコンテンツポリシーやモデレーションを強化していますが、完全な解決には至っていません。

ふわりんさんの楽曲はオリジナルで画像もフリー素材ですので問題はないのですが、僕は調子に乗ってしまい ついつい自分がカラオケで歌っている動画を編集してアップしてしまったりするのです。



自分で言うのもなんですが、これはクリエイターとしては どうなんでしょう。
YouTube内での楽曲の使用は認められているものの、自分自身のオリジナルでは無いので、しかもテロップで歌詞も表示しているため著作権云々でいえば限りなくグレーな感じです。僕がYouTubeを収益目的で利用していないのは実はこのような理由というか、きっと気付かないうちに度が過ぎた行為をしてしまうからなのでしょう(笑)


さらに、YouTubeは広告収益に依存しており、広告主の要求に応じてコンテンツが変化することがあります。これにより、一部のクリエイターが広告主の意向に合わせたコンテンツを制作することが批判されることもあります。

他にも、YouTubeはデータのプライバシーやセキュリティに関する問題にも直面しています。ユーザーデータの収集やプライバシーの保護に関する取り組みが不十分であるとの指摘があります。

これらの課題や問題点にもかかわらず、YouTubeは依然として世界最大の動画共有プラットフォームとしての地位を維持し、今後も進化し続けることが期待されています。
しかし、これらの問題に対処することが、YouTubeの持続可能な発展にとって重要な課題となるでしょう。


YouTubeには個人的な動画アップはほとんどしていない今日この頃ですが、仕事や集客の告知は度々行なっております。
最後に昨年3月に制作した動画を紹介しましょう。こちらは限定公開だったので一般初公開となります。

  


2024年02月10日

オリジナルキャラクターを作成し 動かすお手伝いをさせていただきます。

一般公募で選ばれた播磨のアイドル『てんこもりん』は、 2007年8月16日に『てんこもりんのりんりん日記』でデビューしました。
15年経った現在でも、『兵庫・播磨地域のみんなのブログで作る情報広場てんこもり』にて 当時と変わらず元気な姿を見せています。
故郷の「もりん星」から「もりん1号」に乗ってやってきたのですが、「もりん1号」が壊れてしまい「もりん星」に帰れなくなったので ずっと高砂市に住み続けているという設定だったと記憶しています。(15年も前のことなので真相は忘れました)

てんこもりんと仲間たち&もりん1号



翌年2008年春、てんこもりを運営している株式会社シールズに新人スタッフ三人娘が入社してきました(現在も2名在職中のこと)。どういうつもりだったかはわかりませんが 彼女らは新たなキャラクター『寄り道娘』を作り出してしまったのです。ひょっとしたら3人ともクリエイターとしての血が騒いだのかもしれません。
ちょうどその年は姫路菓子博が開催される年だったので、お菓子のイメージのキャラで盛り上げた方が良いなどの意見も出ていました。頭の上に播磨の特産物をごちゃごちゃ載せている『てんこもりん』よりも、イチゴの帽子をかぶった『寄り道娘』の方が宣伝効果が高いと思ったのでしょう。そんなわけで姫路菓子博の開催期間に限っては 『てんこもりん』は ほとんどその姿を見せることは無くなってしまったのです(泣)。

寄り道娘
●寄り道娘(てんこもり三人娘作)



姫路菓子博終了後に人気復活をかけてみるけれど 既に遅しといった感じで、さらに三人娘以外のスタッフにはバッタもんのような『てんこもりん』を描かれる始末…(/_;)そして、それを真似て抵抗する けなげな僕。

バッタもん てんこもりん


しかし、その夏 『てんこもりん』は、お友だちキャラの『タコリン』と『きっこちゃん』とともに『てんこもり杯ゴルフコンペ』の告知で元気な姿を披露したのを機に、『てんこもりラムネ』のメインキャラクターでの採用となり見事復活しました。めでたしめでたし♪

てんこもりゴルフ&てんこもりラムネ


ブログのネタで挿絵的に てんこもりんを描いて、てんこもりのキャラクターとしての認知度を高めてゆく…
てんこもりんをブログ内などで動かす作業は、正直言って 生きがいでした。

てんこもりん いろいろ


てんこもりんをFlashやGIFアニメを作って動かしてみたり、パズルや サウンドノベルなどのゲームを作ってみたり、まだまだ 多くの人々が存在を知るに至らなかったYouTubeで遊ばせてみたり。
当時のWeb上のシステムやサービスを駆使して最大限出来ることをやってみました。

てんこもりんのりんりん日記

僕は派遣社員という立場で株式会社シールズにお世話になっていました。その後 2008年夏の終わり、派遣元の会社の都合によりシールズを離れてしまいます。

プライベートでは 全国各地の自治体や企業などのオリジナルキャラクター募集を見つけては応募していました。
しかし、そう簡単に入選とはならず。ずっと落選が続きました。

そんな中、2013年の暮れに兵庫県立がんセンター様からロゴマークとオリジナルキャラクターの制作依頼をいただいたのは驚きでした。職員さんたちからの原案を元にカタチにしていくという作業だったのですが、皆さんと一緒に 生き生きとしたキャラクターを誕生させることが出来て とても楽しかったです。
ちょうど10年前の新聞に載りました。

●2014年2月13日付 神戸新聞朝刊より
2014年2月13日付 神戸新聞朝刊より



他にもいろんなキャラクター誕生させています。『てんこもりん』と同じく公募によるものとか職場や団体の皆さんが描いたものを描きおこしたり、または僕のまったくのオリジナルキャラクターだったり。
江井島広告制作のホームページや イラストコミュニケーションサービスのpixiv(ピクシブ)に いくつか作品を投稿しておりますのでご覧ください。

KURACHAN♪ - pixiv

キャラクターを作り出すという作業は面白いです。きっと 15年前の三人娘も楽しかったに違いありません。
それを動かしたり、オリジナルグッズにしたりするのを仕事に出来ているのは 本当に幸せなことだと思います。

これからも キャラクター誕生のお手伝いをさせていただきます。是非ご依頼ください。