2024年01月16日
物流回想録:未来への航跡003☆丹波氷上~北播磨宅配便…そして大阪摂津へ
こんにちは、みなさん!
少しだけ明るいイメージのカテゴリー名に変えました。
さて まず始めにですが…
本来、回想録をブログに書き残しておくならば
入社したての頃の業務内容から順番に記していくべきだと思うのですが
最近、物忘れが酷く(笑) 思い出すだけでも大変なので
適当に思い出した運行業務から書き記していくことをご了承ください。
↑↑↑というようなことを15年前に書いていました。
今回も時系列にて書き直すべきでしたが、気づきませんでした。
当時よりもさらに物忘れがひどくなっているようです。
このブログを書籍化する際には 時の流れと並行した形にて再編集したいと思います。
さてさて、物流回想録:未来への航跡 その3回目のエピソードは、
トラックドライバーとして初めて経験した業務【宅配】をご紹介します。
【003☆R175周辺の宅配+大阪摂津集荷】(2t 箱)
三田(4:00~荷積み~6:00出発)
→社~滝野~西脇~氷上~加西(6:30~配達~12:00)
→大阪摂津(15:00~集荷~15:30)→三田(17:30業務終了)
入社して3日目からは、初心者にぴったりのコースを学ぶことになりました。
それが宅配です。
宅配といっても、一般家庭向けの荷物は少なく、ほとんどが会社やお店への届けものです。
未明の4時に宅配メンバーが集まり、協力して各トラックに荷物を積んで、
6時には会社を一斉に出発します。
このコースは国道175号線沿いを中心とした地域が配達先で、
一番初めに荷物を届ける社町(現在の加東市内)の宅配先は
山道であり、しかも早朝なので、なんと6時半には到着します。
その時間帯にはまだ誰も出勤しておらず、待っている方もいないため、
指定された無人の場所に荷物を置くことになります。これを『置配(オキハイ)』と呼びます。
配達員が用意された受領印を受け取り印鑑を押し、納品完了です。
このような荷物は通常、その日の現場などで必要とされ、
もしも荷物がなければその日は仕事にならないこともあります。
置配はそういった現場で働く人たちにとって、当然ありがたいものなのです。
また、置配は荷送り人と運送屋、荷受人の信頼関係で成り立っています。
このコースでは置配を含め、連日15~20件近くの荷物を配達し、
置配する場所はいつも同じで、ほぼ毎日が活気に満ちていました。
社町から西脇で数軒の会社に置配し、国道175号線を北上して
最後の置配場所である氷上(現在の丹波市内)には通常8時半頃に到着します。
その後南下し、西脇や多可、滝野(現在は加東市)、加西などの地域に配達し、
すべてを午前中には完了させます。
原則として、これらの荷物は午前中必着ですから…。
宅配が終われば、山間の道をドライブして大阪府摂津市内にある運送会社の倉庫へ。
昼に西脇周辺で宅配業務を終えていれば、
13時半から14時頃には既に摂津市内に到着しています。
15時に荷受があるので、それまでの間には長い休憩時間があります。
朝早くからの出勤は少し辛いですが、
夕方5時頃にはまだ明るい時間に三田に戻り、業務を終えられますし、
小さな2tトラックでの業務なので、初心者にも向いているコースだと感じていました。
しかし…
摂津の倉庫ではメーカーの荷物を積むわけですが、多いときで30kgの荷物が3つほど。
一方でまったく集荷する荷物がない日もありました。
会社としては予測外のこともありましたが、
大阪まで行って、空気を運んで帰るだけでは意味がありません。
数ヶ月後、集荷業務は打ち切りとなり、宅配コース全体が大幅に見直され、
新しい体制での運行が始まりました。
その頃から、運送業界は次第に厳しい状況になり、
宅配業務を含めた運送業務全体が過酷なものに変わっていく中
僕たちトラックドライバーは新たな挑戦に向けて前進していくこととなりました。

ところで、ここでご紹介しました宅配エピソードの舞台の
僕が初めて運送業務に就いた主要コースは 北播磨と称される地域です。
北緯35度線と東経135度線の交点に位置し、
西脇市・三木市・小野市・加西市・加東市・多可町の
5市1町で構成される兵庫県北播磨地域は
のどかでゆったりとした時間の流れを感じることができます。
トラックドライバーだった頃はもちろん
兵庫播磨てんこもりのスタッフだった15年前にも
北播磨で生活されている皆さんとたくさん知り合うことができました。
公私共に 楽しく嬉しい幸せな思い出が いっぱいあります。
皆さん ありがとう。
少しだけ明るいイメージのカテゴリー名に変えました。
さて まず始めにですが…
本来、回想録をブログに書き残しておくならば
入社したての頃の業務内容から順番に記していくべきだと思うのですが
最近、物忘れが酷く(笑) 思い出すだけでも大変なので
適当に思い出した運行業務から書き記していくことをご了承ください。
↑↑↑というようなことを15年前に書いていました。
今回も時系列にて書き直すべきでしたが、気づきませんでした。
当時よりもさらに物忘れがひどくなっているようです。
このブログを書籍化する際には 時の流れと並行した形にて再編集したいと思います。
さてさて、物流回想録:未来への航跡 その3回目のエピソードは、
トラックドライバーとして初めて経験した業務【宅配】をご紹介します。
【003☆R175周辺の宅配+大阪摂津集荷】(2t 箱)
三田(4:00~荷積み~6:00出発)
→社~滝野~西脇~氷上~加西(6:30~配達~12:00)
→大阪摂津(15:00~集荷~15:30)→三田(17:30業務終了)
入社して3日目からは、初心者にぴったりのコースを学ぶことになりました。
それが宅配です。
宅配といっても、一般家庭向けの荷物は少なく、ほとんどが会社やお店への届けものです。
未明の4時に宅配メンバーが集まり、協力して各トラックに荷物を積んで、
6時には会社を一斉に出発します。
このコースは国道175号線沿いを中心とした地域が配達先で、
一番初めに荷物を届ける社町(現在の加東市内)の宅配先は
山道であり、しかも早朝なので、なんと6時半には到着します。
その時間帯にはまだ誰も出勤しておらず、待っている方もいないため、
指定された無人の場所に荷物を置くことになります。これを『置配(オキハイ)』と呼びます。
配達員が用意された受領印を受け取り印鑑を押し、納品完了です。
このような荷物は通常、その日の現場などで必要とされ、
もしも荷物がなければその日は仕事にならないこともあります。
置配はそういった現場で働く人たちにとって、当然ありがたいものなのです。
また、置配は荷送り人と運送屋、荷受人の信頼関係で成り立っています。
このコースでは置配を含め、連日15~20件近くの荷物を配達し、
置配する場所はいつも同じで、ほぼ毎日が活気に満ちていました。
社町から西脇で数軒の会社に置配し、国道175号線を北上して
最後の置配場所である氷上(現在の丹波市内)には通常8時半頃に到着します。
その後南下し、西脇や多可、滝野(現在は加東市)、加西などの地域に配達し、
すべてを午前中には完了させます。
原則として、これらの荷物は午前中必着ですから…。
宅配が終われば、山間の道をドライブして大阪府摂津市内にある運送会社の倉庫へ。
昼に西脇周辺で宅配業務を終えていれば、
13時半から14時頃には既に摂津市内に到着しています。
15時に荷受があるので、それまでの間には長い休憩時間があります。
朝早くからの出勤は少し辛いですが、
夕方5時頃にはまだ明るい時間に三田に戻り、業務を終えられますし、
小さな2tトラックでの業務なので、初心者にも向いているコースだと感じていました。
しかし…
摂津の倉庫ではメーカーの荷物を積むわけですが、多いときで30kgの荷物が3つほど。
一方でまったく集荷する荷物がない日もありました。
会社としては予測外のこともありましたが、
大阪まで行って、空気を運んで帰るだけでは意味がありません。
数ヶ月後、集荷業務は打ち切りとなり、宅配コース全体が大幅に見直され、
新しい体制での運行が始まりました。
その頃から、運送業界は次第に厳しい状況になり、
宅配業務を含めた運送業務全体が過酷なものに変わっていく中
僕たちトラックドライバーは新たな挑戦に向けて前進していくこととなりました。

ところで、ここでご紹介しました宅配エピソードの舞台の
僕が初めて運送業務に就いた主要コースは 北播磨と称される地域です。
北緯35度線と東経135度線の交点に位置し、
西脇市・三木市・小野市・加西市・加東市・多可町の
5市1町で構成される兵庫県北播磨地域は
のどかでゆったりとした時間の流れを感じることができます。
トラックドライバーだった頃はもちろん
兵庫播磨てんこもりのスタッフだった15年前にも
北播磨で生活されている皆さんとたくさん知り合うことができました。
公私共に 楽しく嬉しい幸せな思い出が いっぱいあります。
皆さん ありがとう。
2024年01月15日
物流回想録:未来への航跡002☆連日の定期便!明石~商都~湾岸を駆けろ!
こうして改めて、運送業の日々を振り返ると、
なんだか今でもトラックに乗っている感覚が不思議なほど蘇ってきますね(笑)。
【002☆メーカー工場製品倉庫運搬業務】
(4t ワイド ウイング)
三田(6:00出発)→明石魚住(7:30~荷降ろし~8:30)
→稲美(9:00 業務伝達等)→茨木(10:00~荷積み~11:00)
→堺(13:00~荷降ろし~13:30)→茨木(14:30~荷積み~15:00)
→堺(16:00~荷降ろし~16:30~宵積み~17:00)
→大阪此花(17:30~宵積み~18:00)→三田(20:00業務終了)
どうでしょう、この仕事は本当にエキサイティングです。
早朝、三田の会社を発ち、吉川・三木を経由して明石市魚住に向かいます。
荷降ろしが終われば、稲美にある元請けの運送会社で業務連絡や高速券の受け取り。
そして、三木小野インターから山陽・中国・名神の高速道路を駆け抜け、
大阪茨木の工場に到着します。
茨木の工場から製品を積み込んで、堺にある倉庫会社に荷を降ろし、
再び茨木の工場に戻ります。
そして、もう一度製品を積んで堺に向かうのです。
堺の倉庫はちょっと特殊で、降ろす場所が製品の種類や量によって異なります。
でもそのおかげで 毎回新たな指示に挑戦することができます。
そう思えば ワクワク感が高まりますね。
明石の工場に翌朝降ろすための製品を前日の夜に宵積みする作業も行います。
宵積みとは、朝一番の荷物を前日の夜に積んでおくこと。
三田の会社の倉庫内にトラックごと朝の出発時まで大切に保管するので
宵積みしたトラックは なんとなく少し贅沢な感じですね。
茨木~堺を1.5往復した後に向かう場所は 大阪市此花区にある工場です。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンから程近い場所にあるこの工場では
堺の倉庫に無い製品を追加して宵積みします。
(ちなみに この業務を行なっていた当時、USJはまだオープンしていませんでした。)
これでようやく 43号線を経て六甲トンネルを抜けて 三田への帰途となるのです。
それにしても、茨木から堺までの1.5往復はこのコースのハイライト。
通常の近畿自動車道ではなく、名神高速道路から阪神高速池田線を経由して環状線に入り、
湾岸線を走り堺の工場に向かうルートを選んでいました。
もちろん、大渋滞は最大の敵ですが(笑)。
渋滞もなかなかのもので、ただ前進しているだけなのにストレスが溜まりますね。
でも不思議なことに、いつも大渋滞でもなんとか時間通りに運行できるんですよね。
苦笑いしながらも、その不思議な運命感にほっこりしてしまいます。
このコースでは、朝一番に明石市魚住の某メーカーの倉庫で荷降ろしするんですが、
それが現在の住まいからたった2、3分の距離。
当時は三田に居住していたので、やはり会社に帰っていましたが
でも、もし今と 同じ所に住んでいたら
わざわざ遠い道のりを走ることなくそのまま直帰できたのかも知れません。
もっと楽で走行距離も時間も無駄をせずに業務できたのかもしれませんね。
ま、それも でっかいトラックをとめておける場所があったならばのことですし…
このコースも 僕は3ヶ月ほどしか担当しなかったので、
結局は 何とも言えないかな?
全線高速利用で、仕事がプチドライブ旅行のような感覚になることもありますし、
モノの見方次第で、この仕事もちょっとした冒険や楽しいドライブとして考えれば、
もっと気楽に仕事ができたのかもしれませんね… きっと。
なんだか今でもトラックに乗っている感覚が不思議なほど蘇ってきますね(笑)。
【002☆メーカー工場製品倉庫運搬業務】
(4t ワイド ウイング)
三田(6:00出発)→明石魚住(7:30~荷降ろし~8:30)
→稲美(9:00 業務伝達等)→茨木(10:00~荷積み~11:00)
→堺(13:00~荷降ろし~13:30)→茨木(14:30~荷積み~15:00)
→堺(16:00~荷降ろし~16:30~宵積み~17:00)
→大阪此花(17:30~宵積み~18:00)→三田(20:00業務終了)
どうでしょう、この仕事は本当にエキサイティングです。
早朝、三田の会社を発ち、吉川・三木を経由して明石市魚住に向かいます。
荷降ろしが終われば、稲美にある元請けの運送会社で業務連絡や高速券の受け取り。
そして、三木小野インターから山陽・中国・名神の高速道路を駆け抜け、
大阪茨木の工場に到着します。
茨木の工場から製品を積み込んで、堺にある倉庫会社に荷を降ろし、
再び茨木の工場に戻ります。
そして、もう一度製品を積んで堺に向かうのです。
堺の倉庫はちょっと特殊で、降ろす場所が製品の種類や量によって異なります。
でもそのおかげで 毎回新たな指示に挑戦することができます。
そう思えば ワクワク感が高まりますね。
明石の工場に翌朝降ろすための製品を前日の夜に宵積みする作業も行います。
宵積みとは、朝一番の荷物を前日の夜に積んでおくこと。
三田の会社の倉庫内にトラックごと朝の出発時まで大切に保管するので
宵積みしたトラックは なんとなく少し贅沢な感じですね。
茨木~堺を1.5往復した後に向かう場所は 大阪市此花区にある工場です。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンから程近い場所にあるこの工場では
堺の倉庫に無い製品を追加して宵積みします。
(ちなみに この業務を行なっていた当時、USJはまだオープンしていませんでした。)
これでようやく 43号線を経て六甲トンネルを抜けて 三田への帰途となるのです。
それにしても、茨木から堺までの1.5往復はこのコースのハイライト。
通常の近畿自動車道ではなく、名神高速道路から阪神高速池田線を経由して環状線に入り、
湾岸線を走り堺の工場に向かうルートを選んでいました。
もちろん、大渋滞は最大の敵ですが(笑)。
渋滞もなかなかのもので、ただ前進しているだけなのにストレスが溜まりますね。
でも不思議なことに、いつも大渋滞でもなんとか時間通りに運行できるんですよね。
苦笑いしながらも、その不思議な運命感にほっこりしてしまいます。
このコースでは、朝一番に明石市魚住の某メーカーの倉庫で荷降ろしするんですが、
それが現在の住まいからたった2、3分の距離。
当時は三田に居住していたので、やはり会社に帰っていましたが
でも、もし今と 同じ所に住んでいたら
わざわざ遠い道のりを走ることなくそのまま直帰できたのかも知れません。
もっと楽で走行距離も時間も無駄をせずに業務できたのかもしれませんね。
ま、それも でっかいトラックをとめておける場所があったならばのことですし…
このコースも 僕は3ヶ月ほどしか担当しなかったので、
結局は 何とも言えないかな?
全線高速利用で、仕事がプチドライブ旅行のような感覚になることもありますし、
モノの見方次第で、この仕事もちょっとした冒険や楽しいドライブとして考えれば、
もっと気楽に仕事ができたのかもしれませんね… きっと。

2024年01月14日
物流回想録:未来への航跡001☆真夜中から未明の集荷運送業務
21世紀初頭から丸5年間、僕は兵庫県三田市の運送会社で働いていました。
あれからもうすぐ20年が経とうとしています。
自分があのようなハードな仕事をしていたとは、
今となっては嘘のようで、まるで夢のような話です。
トラックを降りてからは、月日が流れるにつれて、
あの頃のことを忘れていくような気がしていました。
しかし、その過去を忘れずにいたいと思い、初めてブログに記したのは
てんこもりのスタッフとして高砂の株式会社シールズで働いていた15年前のことです。
明石商工会議所で1月25日に開催される【第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会】にて、
【運送屋綺譚2024スペシャル】と題した勉強会を盛り込むことが決まりました。
それを前に、加筆した内容にて、改めてこちらに記していきます。
【001☆宅配荷物集荷業務】(4t ワイド ウイング ロング)
三田(21:00出発)→摂津(22:30~集荷作業~翌0:30)
→茨木(1:00集荷)→三田(3:00~荷降ろし~4:00)
→六甲アイランド(5:00仮眠~7:00~集荷~8:30)
→神戸北区内配達(2・3件)→三田(10:00~荷降ろし~11:30業務終了)
運送業界での経験はさまざまでしたが、
宅配荷物の集荷業務に関しては、3ヶ月ほどの期間が記憶に残っています。
宅配といっても、一般家庭に届けられる荷物は少なく、大半が業務用のものでした。
重い原液が詰まったドラム缶や自動車エンジン、キャタピラ、建築用資材など、
さまざまなものを扱いました。
当然、日によって荷物の量が異なるため、積載方法には工夫が必要でした。
積載できない場合は、一旦 三田の会社に戻り、
荷降ろしをしてから再び摂津まで荷物を積みに行かねばなりませんでした。
また、集荷が遅れれば、早朝に出勤してくる宅配を担当する運転手たちに迷惑がかかります。
ただし、他のトラックを呼ぶなどの応援を頼むことは難しかったです。
フォークリフトやプラッター(リーチ型バッテリーフォークリフト)の操作は上達しましたが、
その過程で荷物や建造物の損壊(壁を壊す)などの物損事故も経験しました。
深夜であるため道は空いていますが、油断はできません。
小さな気の緩みが大事故につながる可能性があります。
そして、東の空が白みかかる六甲アイランドの埠頭で
集荷前の2時間ほど、トラックの車内で仮眠をとるのが至福のひとときでした。

※現在の六甲アイランド周辺
JR住吉駅周辺には立派なタワーマンションが林立し、当時と比べて大きく変化しています。
あれからもうすぐ20年が経とうとしています。
自分があのようなハードな仕事をしていたとは、
今となっては嘘のようで、まるで夢のような話です。
トラックを降りてからは、月日が流れるにつれて、
あの頃のことを忘れていくような気がしていました。
しかし、その過去を忘れずにいたいと思い、初めてブログに記したのは
てんこもりのスタッフとして高砂の株式会社シールズで働いていた15年前のことです。
明石商工会議所で1月25日に開催される【第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会】にて、
【運送屋綺譚2024スペシャル】と題した勉強会を盛り込むことが決まりました。
それを前に、加筆した内容にて、改めてこちらに記していきます。
【001☆宅配荷物集荷業務】(4t ワイド ウイング ロング)
三田(21:00出発)→摂津(22:30~集荷作業~翌0:30)
→茨木(1:00集荷)→三田(3:00~荷降ろし~4:00)
→六甲アイランド(5:00仮眠~7:00~集荷~8:30)
→神戸北区内配達(2・3件)→三田(10:00~荷降ろし~11:30業務終了)
運送業界での経験はさまざまでしたが、
宅配荷物の集荷業務に関しては、3ヶ月ほどの期間が記憶に残っています。
宅配といっても、一般家庭に届けられる荷物は少なく、大半が業務用のものでした。
重い原液が詰まったドラム缶や自動車エンジン、キャタピラ、建築用資材など、
さまざまなものを扱いました。
当然、日によって荷物の量が異なるため、積載方法には工夫が必要でした。
積載できない場合は、一旦 三田の会社に戻り、
荷降ろしをしてから再び摂津まで荷物を積みに行かねばなりませんでした。
また、集荷が遅れれば、早朝に出勤してくる宅配を担当する運転手たちに迷惑がかかります。
ただし、他のトラックを呼ぶなどの応援を頼むことは難しかったです。
フォークリフトやプラッター(リーチ型バッテリーフォークリフト)の操作は上達しましたが、
その過程で荷物や建造物の損壊(壁を壊す)などの物損事故も経験しました。
深夜であるため道は空いていますが、油断はできません。
小さな気の緩みが大事故につながる可能性があります。
そして、東の空が白みかかる六甲アイランドの埠頭で
集荷前の2時間ほど、トラックの車内で仮眠をとるのが至福のひとときでした。

※現在の六甲アイランド周辺
JR住吉駅周辺には立派なタワーマンションが林立し、当時と比べて大きく変化しています。
2024年01月12日
運送屋綺譚 2024スペシャル
おかげさまで【江井島広告制作】と
運営している コミュニティの【ふれんどらいん】は 今年12年目に入りました。
1月25日(木)19時より明石商工会議所で開催する
第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会では
物流2024年問題対策を機にビジネスの未来を考える勉強会を盛り込みます。
超えて行け!それを!!
物流ビジネス、配車マン、倉庫番、そして トラック野郎。
これらを経験したデザイナーが 社会への影響と対策法をわかりやすく解説します。

ということで、プレゼン資料も出来上がり準備万端です。
我ながら なかなか面白い内容にてお伝え出来るかと思いますが
当日の講師の緊張具合だけが心配です(笑)。
詳細 & お申し込みページはこちらです。
https://akashi.jp.net/meeting.html
皆様、是非 ご参加ください。
運営している コミュニティの【ふれんどらいん】は 今年12年目に入りました。
1月25日(木)19時より明石商工会議所で開催する
第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会では
物流2024年問題対策を機にビジネスの未来を考える勉強会を盛り込みます。
超えて行け!それを!!
物流ビジネス、配車マン、倉庫番、そして トラック野郎。
これらを経験したデザイナーが 社会への影響と対策法をわかりやすく解説します。

ということで、プレゼン資料も出来上がり準備万端です。
我ながら なかなか面白い内容にてお伝え出来るかと思いますが
当日の講師の緊張具合だけが心配です(笑)。
詳細 & お申し込みページはこちらです。
https://akashi.jp.net/meeting.html
皆様、是非 ご参加ください。

2023年07月29日
続ける喜び、新たな一歩へ
数年前、本作り教室に参加した仲間たちと共に作った『はりまなだぶんがく』という小冊子が発行されました。
そこには、それぞれが綴る物語が詰まっていて、僕は「僕をたどる物語」と題して、短い自分史を紡ぎました。
完成した小冊子を手にしたときの、自分の言葉が紙面に刻まれた喜びと感動は忘れられません。文字が重なり、物語が形作られる魔法のような瞬間に、僕は何かを成し遂げたという自信と幸せを噛み締めました。
そして先日、神戸新聞の広告に目を留めた僕は、再び熱い思いを抱きました。東京の出版社さんが開催する「出版相談会」。これは、僕が待ち望んでいたチャンスだと確信しました。共同で手掛けた小冊子に載せていた30ページほどの自分史に新たな章を加え、僕だけの一冊の本を世に送り出す… それが新たな夢となりました。
相談会当日、心は高鳴り、期待に胸を膨らませながら、神戸国際会館の会議室へと足を運びました。
会場は文学の香りに包まれ、将来作家になるであろう人たちが集まっていました。僕も恐れを抱きながらも一歩を踏み出した瞬間でした。
出版のプロセスについて学び、アドバイスを受ける中で、僕の夢がどんどん具体化していくのを感じました。
一つ一つのアイデアが駆け巡り、自分の物語がどんな風に形を成していくのかを想像するだけでワクワクが止まりません。
帰路の電車の中で、僕は熱い思いを込めて そんな思いをこのブログに書き留めておこうと決めました。
これからの日々がどんな展開を見せるのか、僕自身もまだ分かりません。でも、夢を抱き、その実現に向けて努力し続けることが、本当の意味での成長だと信じています。
今月ついに還暦を迎えましたが、僕の物語はこれからも続きます。また新たな一歩を踏み出し、心躍る未来へと向かいたい。
これからも、僕の物語を見守っていただけると幸いです。
