2023年07月29日
続ける喜び、新たな一歩へ
数年前、本作り教室に参加した仲間たちと共に作った『はりまなだぶんがく』という小冊子が発行されました。
そこには、それぞれが綴る物語が詰まっていて、僕は「僕をたどる物語」と題して、短い自分史を紡ぎました。
完成した小冊子を手にしたときの、自分の言葉が紙面に刻まれた喜びと感動は忘れられません。文字が重なり、物語が形作られる魔法のような瞬間に、僕は何かを成し遂げたという自信と幸せを噛み締めました。
そして先日、神戸新聞の広告に目を留めた僕は、再び熱い思いを抱きました。東京の出版社さんが開催する「出版相談会」。これは、僕が待ち望んでいたチャンスだと確信しました。共同で手掛けた小冊子に載せていた30ページほどの自分史に新たな章を加え、僕だけの一冊の本を世に送り出す… それが新たな夢となりました。
相談会当日、心は高鳴り、期待に胸を膨らませながら、神戸国際会館の会議室へと足を運びました。
会場は文学の香りに包まれ、将来作家になるであろう人たちが集まっていました。僕も恐れを抱きながらも一歩を踏み出した瞬間でした。
出版のプロセスについて学び、アドバイスを受ける中で、僕の夢がどんどん具体化していくのを感じました。
一つ一つのアイデアが駆け巡り、自分の物語がどんな風に形を成していくのかを想像するだけでワクワクが止まりません。
帰路の電車の中で、僕は熱い思いを込めて そんな思いをこのブログに書き留めておこうと決めました。
これからの日々がどんな展開を見せるのか、僕自身もまだ分かりません。でも、夢を抱き、その実現に向けて努力し続けることが、本当の意味での成長だと信じています。
今月ついに還暦を迎えましたが、僕の物語はこれからも続きます。また新たな一歩を踏み出し、心躍る未来へと向かいたい。
これからも、僕の物語を見守っていただけると幸いです。

2023年07月28日
今までに失くしたものよりも、これからは手にするもののほうが多いと信じて。
その昔、多くのグラフィックデザイナーおよび広告制作者たちがデザインの仕事をはじめた頃は、カッターナイフやペーパーセメント・ロットリング(製図ペン)・定規を使用し、まったくの手作業で制作を行っていました。インターネットがブームとなる以前の1990年代の半ば、デザインワークにMacを導入したのですが、その当初は どうしても手作業の方が慣れていたたため 挫折しかかっていたというのが事実です。当時は、まさか20世紀中に デザインワークにパソコンの導入などあろうはずがないと恥ずかしながら信じていました。
1995年1月17日、あの阪神大震災が発生し神戸を中心とした阪神間の街は壊滅状態になりました。そんな時、ある鉄道会社関連の看板業者から沿線の各駅に設置する案内看板を大至急レイアウトして欲しいとの依頼が入ったのです。各駅ごとに少なくても案内看板は10枚は必要との事。従来の制作工程では 到底追いつくような数ではありません。そこで僕は 初めて真剣にMacの前に座り、イラストレーターというソフトを使い、案内看板を作るという目標に向けての制作を始めたのでした。結果は想像以上に凄いものでした。カッターナイフで切る作業もペーパーセメントを用いて貼る作業もロットリングと定規を使って正確な線を引いたりする作業もこのMacで すべて出来てしまうではありませんか。それまで文字を制作するにも 写植機という機械を使いオペレーターに 文字指定を渡し、写植機が打てる文字よりも大きな文字が必要であれば、デザインスコープで拡大し、それを印画紙に焼いて版下に貼っていたのでが、このMacという「魔法の箱」を使うことにより、いとも簡単に出来てしまうのです。その「魔法の箱」の御陰で、たった一日にして全ての駅の案内看板の版下を一人で作成することが出来ました。それまでのアナログ制作行程では 少なくとも5倍の時間は かかるであろうという作業でした。以来 僕は、Macに対しての挫折感などというものは一切なくなり、デザインワークのデジタル化に対しての自信も生まれましたし、この「魔法の箱」の虜になってしまったのです。


写真提供:神戸市
その後、インターネットの世界に足を踏み入れ ホームページ制作を始めたのですが、当初は 画像一つにしてもサーバーへ送る方法すら知らなかったですし、もちろん サイト作成・構築に至っての知識はまったくありませんでした。それらを解決したのは、簡単に作成できるソフトが既に存在していたおかげです。
しかし 残念なことに、さらなる発展を期待していた21世紀を目前にして大阪市内で創業した会社を含め 全てを失った僕は このデザインの現場から離れなければならなくなりました。放浪し辿り着いた先で まったく畑違いの職に就きましたが、そこで 運よく インターネットやパソコンに関わる仕事をさせていただき自分自身が思っているよりも 高く評価していただいたのです。そして ようやく2005年の暮れに、周囲の人々のお力添えで このデザインの現場に復帰することが出来ました。デザインの現場から 5年以上のブランク… この現場に再び足を踏み入れたものの、予想をはるかに超えた繁栄に全くの浦島太郎の心境でした。天文学的数字に増えたホームページを始め ネットショップとか意味不明…。それで いったい ブログって何なんですか?…といった状態でした。
そんな前の見えない時期に、各分野・業種の様々なウェブサイトを制作する機会に恵まれました。感性あふれる若いクリエイターたちとの運命的な出会いによる共同創作経験と より洗練され使いやすくなったソフトのおかげで制作物のクオリティは格段に向上しました。
それから十数年が経ち、今度はAIの発達によって働き場がなくなるのでは無いかという一部の人々の危機感を目にしつつも、それに交わることは決してありません。
またこれから人生で何度目かの転換期を迎えることになるのかを感じながらも、新しいものに対する不安などは一切無く、未来に向けてのワクワク感でいっぱいなのです。
2023年07月27日
夢をかなえる仕事のヒント
僕は16歳になってすぐに原付免許を取得しました。
しかし、普通免許を取得したのは阪神・淡路大震災の前年の1994年で、すでに30歳を超えていました。
高校卒業後は大阪のデザイン専門学校への進路を決めていたため、諸費用面で運転免許どころではなく、それに大阪なら公共交通機関が発達しているので、車無しでも大丈夫と思っていたところもありました。
ところが、新聞奨学生としての配達業務でスーパーカブを使うこともあり、有効期限前に原付免許の更新をしました。普通免許を持っているのが当たり前の年齢になっていたので、免許更新センターでとても恥ずかしい気持ちだったのを憶えています。
専門学校卒業とともに新聞配達業務も終了。就職後は原付免許の更新はせず、そのまま失効させてしまいました。それからの僕の愛車は自転車でした。
長い歳月が過ぎて、もうすぐ30歳を迎える頃、同じ夢を何度も見ました。
車を運転して長い坂道を登っている夢です。
なんと、それがきっかけで大阪府池田市の自宅から大阪市内の会社への通勤時に阪急電車の車窓から見えていた豊中の自動車教習場に通い始めました。
この期間、会社には迷惑をかけそうでしたし、また教習所のイメージは恐ろしい教官に厳しく指導されるのではと不安がありました。でも実際には同世代の職員さんたちと仲良くなり、教習帰りに飲みに行くなどで、教習所通いはとても楽しかったです。
1994年6月に免許取得。7月に会社で奈良の天川村へキャンプに行くことになり、トヨタレンタカーでカローラⅡを借りました。
その後しばらくは休日出かける用事があれば、いつもレンタカーを借りていました。
どんどん借りる車種もグレードアップしていきます(笑)。
高知から母親が神戸の鈴蘭台の伯母宅まで来た際には、中型高級車のクレスタを借りて鈴蘭台まで迎えに行き、当時の家族と仲良く三世代で王子動物園などへ行って遊びました。阪神・淡路大震災の前日のことです。
震災後に初めて車を買いました。三菱自動車の販売店の広告制作をしていたご縁で、リベロというステーションワゴンを特別価格にて購入しました。
約一年後に独立して会社設立。ホームページの制作などで儲かり始めた当時、三菱自動車から発売されたばかりのシャリオグランディスというミニバンに乗り換えました。
不覚にも全てを失った後、たどり着いた福岡の地では、再びスーパーカブが愛車になりました。
その三ヶ月後、知人の誘いで長野県へ。信州木島平のホテルに勤務し、時折 お客の送迎などでハイエースを運転していました。
そして関西に帰り、三田市内の運送会社に就職。トラック運転手として丸5年間働きました。
入社2日目に早速、自ら4tトラックを運転。車検のために助手先に整備士さんを乗せて神戸の陸運局まで行くことに。実際、教習所以来のマニュアル車両で しかもトラックです。
「自分で運転せんかったら前には進まんやろ。行ってこい。必ず できる」
当時の会長の言葉に後押しされて、任務遂行できました。
それからは、宅配や または宅配の荷物を西濃運輸やエスラインやオカケンなどのセンターへ行って集荷する業務、ヤマト運輸や西武運輸などの引越し便の応援業務、佐川急便の集荷センターのベルトコンベアで佐川男子たちの中に混ざって荷物を振り分けたり、材木や工業用資材、さらには豚などの家畜を運んだり、廃屋の整理をしたり、九州や北海道などへの長距離輸送もしました。

免許が無かった頃には、まさか自分がトラック運転手になって北海道へ行くなどとは夢にも思っていませんでした。
ただ不思議なことに、青森からフェリーで未明に函館へ上陸後、札幌まで国道5号を延々と走っていると長い坂道が続く風景と出会いました。それは夢で見た光景と同じだったのです。
気づいてみれば、いつの日からか新入社員に一から十までを教える立場になっていました。
トラック運転手になりたての頃は、車庫入れなども下手で、配車先の荷受け係の人たちにボロクソに言われて続けていましたが、事務所配属となりトラックに乗務する機会が少なくなって、久しぶりに出入りしていた納品先を訪れた際、新たに取引先をご紹介をいただいたりと、いつのまにか信頼されるようになりました。
愛車もトヨタのヴィスタ、カルディナ、ホンダのレジェンドと、頻繁に乗り換えていた時期でもありました。
きっかけが習慣を変え、「必ずできる」という会長の言葉に潜在意識を刺激されたことなどを始め、ここで得た様々な体験が、自分の能力を信じ高めるという結果に導いてくれたようです。
30歳を過ぎて免許を取ったのですが、果たして免許があったから、敢えてこの仕事を選んだのでしょうか?それとも不思議と未来を予知していたから免許を取得したのでしょうか。
この経験を振り返り思うことですが、当初は何も役に立たず、まったく必要とされない自分でありました。でも時が経ち、運送会社の社員として貢献出来たのは事実で、それが現状にも良い形で現れています。夢をかなえたのも事実。まずまずの「成功」だったのです。
しかし、普通免許を取得したのは阪神・淡路大震災の前年の1994年で、すでに30歳を超えていました。
高校卒業後は大阪のデザイン専門学校への進路を決めていたため、諸費用面で運転免許どころではなく、それに大阪なら公共交通機関が発達しているので、車無しでも大丈夫と思っていたところもありました。
ところが、新聞奨学生としての配達業務でスーパーカブを使うこともあり、有効期限前に原付免許の更新をしました。普通免許を持っているのが当たり前の年齢になっていたので、免許更新センターでとても恥ずかしい気持ちだったのを憶えています。
専門学校卒業とともに新聞配達業務も終了。就職後は原付免許の更新はせず、そのまま失効させてしまいました。それからの僕の愛車は自転車でした。
長い歳月が過ぎて、もうすぐ30歳を迎える頃、同じ夢を何度も見ました。
車を運転して長い坂道を登っている夢です。
なんと、それがきっかけで大阪府池田市の自宅から大阪市内の会社への通勤時に阪急電車の車窓から見えていた豊中の自動車教習場に通い始めました。
この期間、会社には迷惑をかけそうでしたし、また教習所のイメージは恐ろしい教官に厳しく指導されるのではと不安がありました。でも実際には同世代の職員さんたちと仲良くなり、教習帰りに飲みに行くなどで、教習所通いはとても楽しかったです。
1994年6月に免許取得。7月に会社で奈良の天川村へキャンプに行くことになり、トヨタレンタカーでカローラⅡを借りました。
その後しばらくは休日出かける用事があれば、いつもレンタカーを借りていました。
どんどん借りる車種もグレードアップしていきます(笑)。
高知から母親が神戸の鈴蘭台の伯母宅まで来た際には、中型高級車のクレスタを借りて鈴蘭台まで迎えに行き、当時の家族と仲良く三世代で王子動物園などへ行って遊びました。阪神・淡路大震災の前日のことです。
震災後に初めて車を買いました。三菱自動車の販売店の広告制作をしていたご縁で、リベロというステーションワゴンを特別価格にて購入しました。
約一年後に独立して会社設立。ホームページの制作などで儲かり始めた当時、三菱自動車から発売されたばかりのシャリオグランディスというミニバンに乗り換えました。
不覚にも全てを失った後、たどり着いた福岡の地では、再びスーパーカブが愛車になりました。
その三ヶ月後、知人の誘いで長野県へ。信州木島平のホテルに勤務し、時折 お客の送迎などでハイエースを運転していました。
そして関西に帰り、三田市内の運送会社に就職。トラック運転手として丸5年間働きました。
入社2日目に早速、自ら4tトラックを運転。車検のために助手先に整備士さんを乗せて神戸の陸運局まで行くことに。実際、教習所以来のマニュアル車両で しかもトラックです。
「自分で運転せんかったら前には進まんやろ。行ってこい。必ず できる」
当時の会長の言葉に後押しされて、任務遂行できました。
それからは、宅配や または宅配の荷物を西濃運輸やエスラインやオカケンなどのセンターへ行って集荷する業務、ヤマト運輸や西武運輸などの引越し便の応援業務、佐川急便の集荷センターのベルトコンベアで佐川男子たちの中に混ざって荷物を振り分けたり、材木や工業用資材、さらには豚などの家畜を運んだり、廃屋の整理をしたり、九州や北海道などへの長距離輸送もしました。

免許が無かった頃には、まさか自分がトラック運転手になって北海道へ行くなどとは夢にも思っていませんでした。
ただ不思議なことに、青森からフェリーで未明に函館へ上陸後、札幌まで国道5号を延々と走っていると長い坂道が続く風景と出会いました。それは夢で見た光景と同じだったのです。
気づいてみれば、いつの日からか新入社員に一から十までを教える立場になっていました。
トラック運転手になりたての頃は、車庫入れなども下手で、配車先の荷受け係の人たちにボロクソに言われて続けていましたが、事務所配属となりトラックに乗務する機会が少なくなって、久しぶりに出入りしていた納品先を訪れた際、新たに取引先をご紹介をいただいたりと、いつのまにか信頼されるようになりました。
愛車もトヨタのヴィスタ、カルディナ、ホンダのレジェンドと、頻繁に乗り換えていた時期でもありました。
きっかけが習慣を変え、「必ずできる」という会長の言葉に潜在意識を刺激されたことなどを始め、ここで得た様々な体験が、自分の能力を信じ高めるという結果に導いてくれたようです。
30歳を過ぎて免許を取ったのですが、果たして免許があったから、敢えてこの仕事を選んだのでしょうか?それとも不思議と未来を予知していたから免許を取得したのでしょうか。
この経験を振り返り思うことですが、当初は何も役に立たず、まったく必要とされない自分でありました。でも時が経ち、運送会社の社員として貢献出来たのは事実で、それが現状にも良い形で現れています。夢をかなえたのも事実。まずまずの「成功」だったのです。

2023年07月25日
儲かるホームページの話
明日7月26日水曜日は明石江井ヶ島海岸近くの海賊イタリアンにて、弊所が主催する「ふれんどらいん異業種交流会」です。
210分間のロングバージョンでの開催。美味しい料理に加えて飲み放題付きということで、おかげさまで満席となりました。

その中で、「儲かるホームページの話」と題してのミニセミナーを盛込みます。
ネタバラシというわけではありませんが、こんなことを説明しながら進めていきます。
1.ユーザーフレンドリーなデザイン2.情報の整理とカテゴリ分け3.視覚的なコンテンツの充実4.多言語対応5.予約・問い合わせ機能の強化
そして、DXについても語ってみようかと思います。
ウェブサイトにDX(デジタルトランスフォーメーション)を反映させることで、より先進的で効果的なオンラインプレゼンスを実現できます。
カスタマーサポートの充実や データ分析とその改善についてなど
今回は プロジェクターを準備出来ないので、YouTubeライブにてパワポの資料をご覧いただくようにします。
僕のYouTubeアカウントは このブログのプロフィールにもリンクを記載しているので閲覧は可能ですが、音はミュートにするので パワポの画面しか見れません。
ご参加の皆様 お楽しみに。
明日は よろしくお願いいたします。

2023年07月23日
原点へ、生きがい新たに てんこもり。
てんこもりな皆様こんにちは♪
突然ですが、10年近くぶりに このブログ「きらめき☆てんこもり♪」を更新します。

なぜ、今になって帰ってきたのか? ここまでの経緯について お話ししましょう。
平日のお昼前だというのに 大阪の西梅田駅に集合して15年ぶりに 一緒に呑みました。
今更ですが、自分的には最強のメンバーです。

左「スタッフふじ」・中央「ふゆきち」・左「KURACHAN♪(わし)」
(一応、真ん中(ふゆきち)の顔は隠していますが、しばらく経てば 写っているのに差し替える可能性あり)
15年前の毎週末、僕らは必ず呑みに行ってました!
このように3人が集まるきっかけになったのは、年末から 某ネットショップをカスタマイズしていてわからないことがあったので、正月が終わったぐらいのタイミングで ふゆきちに連絡をして助けを求めたというのが始まりでした。
まず、ふゆきちとは1月某日、大阪日本橋にある得意先での打ち合わせ後に15年ぶりの再会。
実は… 15年前 一緒に仕事をしていたときに、僕は ふゆきち本人に このように伝えました。
「ふゆきちは 今、播磨ではナンバーワンのコーダーやで。そして将来必ず絶対に関西屈指のWebデザイナーになれると思うし」
Webコーダーとは、Webデザイナーが作成したWebデザインを、Webブラウザ上で表示できるようコーディングする仕事です。
平然と断言した通り、15年ぶりに再会した ふゆきちはすごかったです。
僕のMacBook Airを見事に操作し、いとも簡単にコーディング修正しました。
なんということでしょう。年越しの僕の悩みを、ものの数分で解決してくれたのです。
そのあとに千日前の居酒屋でアホほど呑みました。
そして、お酒もまわってきて調子に乗った ふゆきちが、当時の上司の「スタッフふじ」さんに連絡してみてと言ってきました。
おいおい、今か…?
…と 思いながらも、僕も めっちゃノリノリで、まずは「スタッフふじ」さんの Facebookメッセンジャーに、居酒屋でノリノリの状況を撮影した写真とともに近況を送ってみました。
すると… 数分で お返事をいただいたのです。
すぐに電話しました。
と いうわけで…
とんとん拍子で 2月7日に15年ぶりの再会が実現しました。
めでたしめでたし♪
「スタッフふじ」さん、現在は統括マネージャーとして株式会社シールズをまとめています。
このブログポータルサイトの立ち上げ時に ほんの少しの期間でしたが
僕は派遣社員という立場で 株式会社シールズさんにお世話になりました。
中でも、てんこもりのキャラクターを一般公募して誕生した「てんこもりん」。
そして、スタートしたのが てんこもりんのりんりん日記というブログです。
ブログのネタで挿絵的に てんこもりんを描いて
てんこもりのキャラクターとしての認知度を高めてゆく…
てんこもりんをブログ内で動かす作業は、正直言って 生きがいでした。
てんこもりんを
FlashやGIFアニメを作って動かしてみたり
パズルや サウンドノベルなどのゲームを作ってみたり
まだまだ 多くの人々が存在を知るに至らなかったYouTubeで遊ばせてみたり
てんこもりんだけではなく、おともだちキャラも登場させました。
当時のWeb上のシステムやサービスを駆使して最大限出来ることをやってみました。
誕生日占いの本を紹介する記事もありました。
そこで掲載された 僕ら3人の性格は以下のとおりです。
●fuji
偉大な力を信じるひと。
長所:誠実。人の意見をすなおに受け入れる。徹底している。
短所:だまされやすい。現実ばなれしている。自分を犠牲にするクセがある。
●くらちゃんめっちゃ 当たってる!
無意識の中で生きる預言者。
長所:想像力に富む。責任感が強い。エキサイティング。
短所:不安定。心配性。
●ふゆ
想像と現実の結び手。
長所:想像が巧み。合理的。積極的。
短所:空想を追う。図々しい。なげやり。
てんこもりんのりんりん日記は こちら。
tenkomorin.tenkomori.tv
10年ほど前になりますが、ふれんどらいんと並行して 総合創造学習ぴいすくうるを立ち上げてホームページを公開した際に、そこの自己紹介ページに自分の想いを以下のように記しました。
感性に満ちたクリエイターたちとの運命的な出会い
業界への復帰後は各分野・業種の様々なウェブサイトを制作する機会に恵まれました。感性あふれる若いクリエイターたちとの運命的な出会いによる共同創作経験と より洗練され使いやすくなったソフトのおかげで制作物のクオリティは格段に向上しております。
デザイン業界においては、パソコンを利用しての制作が ほとんどの時代。過去において Macに限定されていたような制作作業もその他のパソコンでも同じ制作が出来るようになりました。パソコンの進歩と同時に 年々ありとあらゆるソフトが発売され、もはやプロとアマとの境がなくなったように思われている状況です。しかしながら、従来の基本的な作業としての『絵を描き上げる』、『レイアウトを見やすく表現する』といった作業には、やはり制作する人のセンスや経験がモノをいうことは確かだと思います。培った経験を最大限に生かしながら、更にこれからも プロフェッショナルなデザインワークに励んで行くとともに、一人でも多くの人にクリエイターとしての道を歩んでいただきたく思います。
また この最強メンバーで、最高の仕事をしたい!
その思いが叶ってか、15年ぶりに株式会社シールズに伺いました。
澤田社長にも 久しぶりにお会いできました。
そして、あらためて「てんこもり」を通じて、広告業界やデザインに興味を持つ方々との交流も大切にしていきたいと感じました。
デザインに関わる感性やアートについても深く掘り下げ、芸術性を取り入れた魅力的な広告デザインの作り方についてもご紹介していきます。
目指すのは、クリエイティブな表現だけでなく、ビジネスの目標達成に資するデザインを提供することです。
コメントや質問を通じて、より深い議論を共有し、互いに刺激的なアイデアを生み出していきましょう。
今後 このブログが、広告デザインの世界に新たなるヴィジョンをもたらし、皆様と共に成長していくきっかけとなることを願っています。