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2024年05月06日

魅力満載の三木小野☆嫁様に誘われて楽しいドライブ♪2024GW

2024年GW後半スタート一日目の5月3日【憲法記念日】は、「何もしない宣言」をしていたのですが、大型連休中の嫁様が自分の車を徹底的に掃除したこともあり(笑)助手席に僕を乗せてドライブに連れて行ってくれました。

はぴたん号&KURACHANDS

明石大久保から加古川の平荘を結ぶ兵庫県道384号線(平荘大久保線/三木環状線)から、加古郡稲美町の岡の交差点を右折し、兵庫県道514号線(志染土山線)を ずっと走り国道175号線と交差する小林交差点を通過して700m東に行けば小林南交差点です。【小林】から東の方向なのに なぜか【小林南】です。
ここ小林南交差点を左折して北にいけば三木山森林公園や三木山総合公園があって、その先には三木市文化会館や三木市役所があります。

しかし、ドライブの最初の目的地は小林八幡神社です。
これまで僕は この道を三田の運送会社に行ったりするたびに数百回は通っていて、実は以前からこの神社が気になっていました。
今回初めての参拝となります。

小林八幡神社(境内由緒碑より)
天照大神が天の岩戸に身をかくされ、入口の戸をピッタリ閉じてしまわれた。日本の国は、まっくらやみになって色々なパニックが起こった。八百万の神たちが寄り集まり、七柱の神を選び岩戸びらきを一任された。その選ばれた二柱の神が、天児屋根命と天手力男命である。日本の国の危急存亡の事態を、一滴の血を流さないで解決なされた神を、小林の祖先は、この八幡神社におまつりした。応神天皇は厄除けの神として広く知られているが、すばらしい学者、織物や鍛冶、船匠など外国の技術者を招いて日本の文化を大きく開かれた天皇である。この天皇を私たちの祖先は、心を寄せ合う守りの神としてこの地に鎮座した。
享保13年3月13日(1728年)、創立。
明治7年(1874年)、村社に列せられる。

小林八幡神社と戸隠神社と陰陽の祠
陰陽の祠(ほこら)※写真左上
何時、この地に根を下したかな苔むしたこの山桃の古木に、しめ縄が張られているのを見てもこの神奈備(もり)を守る神木だと見られて誰もそれ以外の事は分からなかった。ところが平成五年の夏、はからずもこの古木の洞穴に女陰とおぼしき神秘に目をとめた氏子が総代並に自治会役員は斉らくこの古木に張られたしめ縄の所以(ゆえん)とする処を知った。思うに陰陽具象の造形に子を恵みと安産を祈る古代信仰はこの現世にも大きく生きつづけている事に思いをいたし新たに陽を伴ない来たり陰陽(ふるさと)の祠としてここに鎮め奉る。
平成五年十月吉日




小林八幡神社、やはり すごいところだったのですね。
程よい長さの木々に囲まれた参道で、近くの道は交通量もそこそこあるのですが、とても静かです。




ランチは 西へ700m戻って、国道175線沿いの【スシロー三木店】さんだったのですが、ここは事前に嫁様が予約していてくれました。

スシロー三木店

久しぶりのスシロー。僕はビールとハイボールを飲んで あれもこれも食べたのに、お会計は二人で二千数百円でした。
とっても幸せな気分です。



一時間ほどお昼を楽しんだ後、今度は国道175号線を北上して小野市へ。

次も、初めて訪れる 国宝 極楽山 浄土寺です。

国宝 極楽山 浄土寺

以下、備忘録として パンフレットより引用します。
浄土堂(阿弥陀堂)
 鎌倉時代の初頭は、浄土宗、浄土真宗、禅宗などの新宗派がつぎつぎと起り、宗教界に清新の気風を注入した時代ですが、それと同時に、仏寺建築においても、唐様・大仏様(天竺様)が伝えられはなはだ多彩となった時代です。中でも、大仏様(天竺様)建築は、構造力学的な原理に即した合理性を尊重し、それに徹しようとするものであったため、建築の美を実用に求め、真の建築美を構造の合理性に発見しようとする近代建築観とは、最も符合するものといえます。浄土寺の国宝、浄土堂は奈良の東大寺南大門と並んで、大仏様(天竺様)建築を代表する最も大切な建物です。
 この浄土堂は、桁行三間、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦茸の堂々とした建物で、柱間の隔りは20尺という広いものです。
 鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重源上人は、領所として与えられた大部荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土堂です。創建の建久三年(1192年)から昭和32年まで約770年の風雪に耐え、一度も解体されずに持ちこたえて来ただけでも偉大です。つくり方が大仏様(天竺様)という特異な様式で、東大寺南大門とともに全国にただ二つしかない点も重要です。我が国建築史の上から、かけがえのない大切な建物とされているのもそのためです。雄大な円柱から何本も突き出ている挿肘木、木鼻と、この挿肘木とを結ぶボリュームに富んだ虹梁、天井を張らずに化粧屋根裏を高いところまで見せている雄大さ、重源上人の雄琿な気魄と、大陸風のおおまかな雰囲気に、見る者は圧倒されてしまうほどです。柱にエンタシスをもっていること、斗の下に皿を付けていること、棰の配りかたが四隅だけ扇棰としていること、棰鼻に鼻隠版をうちつけていることなど、純粋な天竺様の建築手法は、この浄土堂の研究に俟たねば、到底解明されません。
 昭和32年3月より始められた解体修理工事は、3,500万円の工費と、2年半の歳月を経て、34年秋、めでたく竣工しました。修理前の荒廃していた姿を知っている者でも、創建当初の美しい姿に復原されたこのお堂の前に立つとき、重源上人建立当時のはつらつとした意気と感を覚えずにはいられないでしょう。
 背面の透かし部戸からさし込む西陽が化粧屋根裏につかえんばかりの阿弥陀三尊様を西方極楽浄土よりの来迎の姿として浮かび上がらせる、まさに浄土思想の建築的表現の究極とでもいうお堂でもあります。
明治34年3月27日 国宝指定
昭和27年3月29日 新国宝指定

木造阿弥陀如来及両脇侍立像(三躯)
 浄土堂の本尊で、浄土堂創建当時につくられ、安置されたものです。阿弥陀如来の高さ530cm、観音・勢至の両菩薩はそれぞれ370cmあり、鎌倉初期の名仏師快慶の作であります。丈六の坐像は諸地方に多く残っていますが、立像は珍しくその上、安定に細心の注意を払い、特殊な据え付け方をしています。
 作風を見ると、鎌倉初期の写実風がかなり濃厚にあらわれ、且つ、雄運な気魄に満ちています。しかし、宋朝風の影響も見のがすことはできません。これも、堂宇と同様、当初より大きな修理をせずにいる優秀なもので、昭和39年春新国宝に指定されました。
 いずれも雲形の台座に立たれ朱色の屋根裏いっぱいまでの重量感で西陽に浮かび上がる来迎の御姿は重源上人や仏師快慶そして多くのお弟子様達の阿弥陀信仰の篤さを物語っているかのようです。
明治34年8月2日 国宝指定
昭和39年5月26日 新国宝指定


薬師堂(本堂)
 桥行五間、梁間五間、単層、屋根宝形造、本瓦葺。净土堂とほぼ同形同大の建物で、浄土堂と相対し、浄土寺の根本道場となっています。もと浄土堂と同様に、重源上人によって建立され、天竺様の堂々とした姿を示していましたが、室町時代の中頃に焼失し、その後、永年14年(1517年)に再建されたのが今の建物です。したがって、天竺様の建て方をしていても浄土堂ほどの純粋性がなく、和様や唐様の手法を混じているのを惜しまれています。
明治34年3月27日 国宝指定
昭和27年3月29日 重要文化財指定

開山の重源上人
 重源上人は、もともと、紀季重の子として保安2年(1121年)に生まれ、俗名を刑部左衛門尉重定といいました。13歳のとき、山城の上醍醐に入り、名を重源と改め、真言の修行に専念されました。同時に建築、工芸、支度等の造旨も深く中国(当時は宋朝)には早くから渡り、明州の阿育王山が建立されるときは、周防の国から材木を渡し、重層で中央間の広さ三丈(9.1m)という大規模な舎利殿を建てたこともありました。
 上人が単に宋文化の愛好者であったばかりでなく、その技術についても習熟していたことは、大いに注目せねばならぬところであり、この技術に対する自が、東大寺再建にあたって天竺様という新しい建築様式を採用する根底となり、東大寺再建の大事業を成し遂げられたのでした。重源上人のこの新技法を最もよく残した建物として、広く、内外から注目されています。
 建永元年6月4日(1206年)、上人は東大寺浄土堂において、86歳の生涯を閉じられました。活動家であった上人の興された寺院は、夥しい数にのぼったことと思いますが、東大寺念仏堂・高野山新別所・播磨浄土寺・醍醐旧住道場・伊賀大仏道場・大阪渡辺道場・備中道場・周防阿弥陀寺は、特に金仏道場として、その後も長く栄えました。

 国宝 極楽山 浄土寺
八幡神社拝殿・本殿
 大和の東大寺に鎮守の手向山八播宮があるように、同寺の末寺には鎮守八播の建てられているところが少なくありません。浄土寺でも鎌倉後期の嘉禎元年(1235年)に八播宮を建てたことが寺記に載せられ、現存の拝殿と本殿はその遺構とされています。

八幡神社拝殿・本殿
お寺の中に神社があるって、とっても素敵です♪



本当に素晴らしいお天気の中、嫁様の運転で素晴らしいところを巡り 幸せな時間を過ごせました。

そして三木に戻って、嫁様おすすめのコーヒー店ぶれんどさんへ。
コーヒー店ぶれんど アイスコーヒーとチーズケーキ
アイスコーヒーとチーズケーキでゆっくりしながら、浄土寺の御朱印を収めるための御朱印帳をamazonでポチ。
浄土寺の御朱印と御朱印帳

またひとつ思い出が増えました。ありがとう。


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