「きらめき☆てんこもり♪」は、「ふれんどらいん」を運営している江井島広告制作の代表「KURACHAN♪」がお届けするインスピレーションと知識の共有の場所です。 広告デザインはビジネスの成功において重要な役割を果たすとともに常に変化し続けています。 このブログでは、長年の経験と洞察力を基に業界の最新動向やトレンド、クリエイティブなアプローチに焦点を当て、読者の皆様に価値ある情報を提供します。

2024年01月23日

未知のクリエイティブ空間

クリエイティビティの限界に挑戦し、未知の領域を開拓するための新しいプラットフォーム「MUGEN.SPACE」は、異なる分野や業界のプロフェッショナルが交わり、イノベーションと共に未来を築く場です。



なぜMUGEN.SPACEなのか?

MUGEN.SPACEは、単なるオンラインサロンやコワーキングスペースではありません。
これは、アイディアが自由に飛び交い、新たなコラボレーションが芽生える場所です。
ある時には レストランがコワーキングスペースになったり、また ある時には 企業の空いているスペースを使用したり、さらには 移動する車両等がコミュニケーション空間として活用されたり… そして、そこで常時業務に携わっている方々との関わりも期待できます。
経験することのない職業にも何気なく触れることにより未知の世界を体験する機会があるかもしれません。
ふれんどらいん異業種交流会を 12年間続けてきた実績と、兵庫播磨地域の新たな市場を開拓していくために新たにスタートさせた ふれんどらいん版 楽市楽座を礎にして、クリエイティブなエネルギーが無限に広がり、参加者同士が新しい可能性を発見出来るような場所づくりを目指します。




何を期待できるのか?

業界横断のコミュニケーション:さまざまな分野のプロフェッショナルが一堂に会し、異なる視点からの知識とアイディアを共有します。

オンライン・オフラインイベント:ウェビナー、ワークショップ、ネットワーキング イベントなど、多彩な形式のイベントでメンバー同士が交流し、共に成長できる機会を提供します。

ボランティアと社会貢献:MUGEN.SPACEは社会との繋がりを大切にし、ボランティア活動や地域支援プロジェクトに積極的に参加します。



参加方法は?

興味を持っていただけた方は、MUGEN.SPACEの公式ウェブサイトで詳細をご確認ください。
未知なる冒険に一緒に参加し、クリエイティビティの新たな地平を一緒に切り拓きましょう!


新たな出会い、新たな挑戦が 私たちを待っています。
一緒にMUGEN.SPACEの船に乗り込み、クリエイティブな未来を共に築いていきましょう!



※明石市大久保町江井ヶ島海岸/2024年1月17日撮影
明石市大久保町江井ヶ島海岸
  

2024年01月22日

共に参加しよう!新たな舞台、新しい挑戦!!

皆さん、こんにちは。
KURACHAN♪こと 江井島広告制作の倉橋です。

今日は特別なお知らせがあります。
弊所の事業が新たなステージに向けて大きく動き出すことを、皆さんとも共有させてください。

これまで、一人でデザイン事務所を経営し、コミュニティ「ふれんどらいん」を通じて多くの方々と出会い、交流してまいりました。そして、これからはもっと多くの人たちと共に、新たなプロジェクトに挑戦していきたいと思っています。

そこで、皆さんにもお声がけさせていただきたいのです。一緒に、新たな挑戦に臨んでみませんか?


【弊所事業への参加】

▶ 法人化への協力
江井島広告制作を法人化し、より大きなスケールでのプロジェクトを進める計画があります。その一環として、法人としてのアドバイスやご支援をいただける方を募集しています。法務や経営戦略に詳しい方、ぜひお力をお貸しいただけませんか?

▶ クリエイティブなアイデアの提供
新たなプロジェクト「MUGEN.SPACE」では、皆さんのアイデアを実現するためのクリエイティブな力が必要です。デザイナー、イラストレーター、クリエイターの方々、一緒に新しい世界を築き上げませんか?

▶ ふれんどらいんでのイベント等開催
ふれんどらいん」は異業種交流会を通じて人と人をつなぎ、新たなビジネスチャンスを生み出しています。皆さんも是非参加し、お互いの事業を広げる一翼を担っていただけませんか?


ふれんどらいん」では、明石を拠点に神戸三宮などで異業種交流会などのイベントを展開。
さらに、兵庫県播磨地域から新たな市場を開拓する「楽市楽座」を進めています。
そして、新たなプロジェクト「MUGEN.SPACE」を2024年からスタートし、皆さんのアイデアを実現するためにクリエイティブな世界を共有していきます。

これからは、皆さんの力が欠かせません。
一緒に未知なる舞台に飛び込み、新たな成功を共に手にしませんか?
お力添えいただける方、ご興味をお持ちいただける方は、ぜひお気軽にご連絡ください。
新たなプロジェクトを共に歩む仲間として、皆さんと進んで行けることを楽しみにしています。

どうぞよろしくお願いいたします。








KURACHAN♪
  

2024年01月21日

物流回想録:未来への航跡007☆往復3330キロ!夢の北海道を走る

僕は16歳になってすぐに原付免許を取得しました。
しかし、普通免許を取得したのは阪神・淡路大震災の前年の1994年で、すでに30歳を超えていました。
高校卒業後は大阪のデザイン専門学校への進路を決めていたため、諸費用面で運転免許どころではなく、それに大阪なら公共交通機関が発達しているので、車無しでも大丈夫と思っていたところもありました。
ところが、新聞奨学生としての配達業務でスーパーカブを使うこともあり、有効期限前に原付免許の更新をしました。
普通免許を持っているのが当たり前の年齢になっていたので、免許更新センターでとても恥ずかしい気持ちだったのを憶えています。
専門学校卒業とともに新聞配達業務も終了。
就職後は原付免許の更新はせず、そのまま失効させてしまいました。
それからの僕の愛車は自転車でした。

長い歳月が過ぎて、もうすぐ30歳を迎える頃、同じ夢を何度も見ました。
車を運転して長い坂道を登っている夢です。

なんと、それがきっかけで大阪府池田市の自宅から大阪市内の会社への通勤時に阪急電車の車窓から見えていた豊中の自動車教習場に通い始めました。
この期間、会社には迷惑をかけそうで 申し訳ない思いと、昔の教習所のイメージ通りの恐い教官に厳しく指導されるのではとの不安がありました。
でも実際には同世代の職員さんたちと仲良くなり、教習帰りに飲みに行くこともあって、教習所通いはとても楽しかったです。

1994年6月に免許取得。
7月に会社で奈良の天川村へキャンプに行くことになり、トヨタレンタカーでカローラⅡを借りました。
その後しばらくは休日出かける用事があれば、いつもレンタカーを借りていました。
どんどん借りる車種もグレードアップしていきます(笑)。
高知から母親が神戸の鈴蘭台の伯母宅まで来た際には、中型高級車のクレスタを借りて鈴蘭台まで迎えに行き、当時の家族と仲良く三世代で王子動物園などへ行って遊びました。
阪神・淡路大震災の前日のことです。

震災後に初めて車を買いました。
三菱自動車の販売店の広告制作をしていたご縁で、リベロというステーションワゴンを特別価格にて購入しました。

約一年後に独立して会社設立。
ホームページの制作などで儲かり始めた当時、三菱自動車から発売されたばかりのシャリオグランディスというミニバンに乗り換えました。
 
そして… 不覚にも全てを失った後、たどり着いた福岡の地では、再びスーパーカブが愛車になりました。
その三ヶ月後、知人の誘いで長野県へ。
信州木島平のホテルに勤務し、時折 お客の送迎などでハイエースを運転していました。

そして関西に帰り、三田市内の運送会社に就職。
トラック運転手として丸5年間働きました。

入社2日目に早速、自ら4tトラックを運転。
車検のために助手先に整備士さんを乗せて神戸の陸運局まで行くことに。
実際、教習所以来のマニュアル車両で しかもトラックです。

「自分で運転せんかったら前には進まんやろ。行ってこい。必ず できる」
当時の会長の言葉に後押しされて、任務遂行できました。
 
それからは、宅配や、または宅配の荷物を西濃運輸やエスラインやオカケンなどのセンターへ行って集荷する業務、ヤマト運輸や西武運輸などの引越し便の応援業務、佐川急便の集荷センターのベルトコンベアで佐川男子たちの中に混ざって荷物を振り分けたり、材木や工業用資材、さらには豚などの家畜を運んだり、廃屋の整理をしたり、九州や北海道などへの長距離輸送もしました。

今回のお話は 某大手運送会社からの傭車依頼で入社して半年ぐらい経ったころに 札幌まで引越の荷物を届けた運行例を紹介します。

傭車(ようしゃ)とは物流業者が他のトラック運送業者からトラックとドライバーを丸ごと借りて自社戦力にすることをいいます。
前週の土曜日に別の運転手が積荷したトラックを引き継ぎ、週明けの水曜日に札幌市内の引越し先で現地の業者と合流する業務でした。


【007☆引越便遠隔地配送及び復路荷便】(4t ワイド ウイング ロング)

☆往路/三田~札幌

 1日目【月曜日】
  運行前点検(午前中)・三田(12:30出発)
  →(主要ルート国道1号線)→埼玉大宮(21:00着)

 2日目【火曜日】
  埼玉大宮(7:00)→(主要ルート国道4号線)
  →青森(20:00着22:00→フェリー(船内泊)

 3日目【水曜日】
  函館(2:00)→(国道5号線)
  →札幌(7:00着・9:00~荷降ろし~10:30)


まず 往路ですが、先輩運転手には日本海側ルートの方が
走行距離が短いと勧められましたが
お江戸にトラックで行ってみたいし、途中で富士山も見たいしで
従わずに東京経由の太平洋側ルートを選びました。

会社からは 状況によっては一部高速利用も可能と言われていたので、それならばと 一日目の目的地は東京近郊と決めていました。
なんとなくの勘だけで 自分なりに決めた有料区間を走行。
上手い具合に足柄サービスエリアに夕刻までに到着。
富士山の山頂が夕陽に染まる様子を間近で見れて幸せでした。
一日目は まずまずです。

ところが、二日目はというと、埼玉の大宮を朝7時に出発したのが遅すぎたらしく、下道走行という事もあって 栃木を抜けて福島の白河に来た時点で すでにお昼を過ぎてしまいました。
このままでは 青森港からのフェリー最終便に間に合いません。
さすがにヤバいと思ったので 郡山から東北自動車道で青森まで走ることにしました。
20時に青森港には到着したのですが、乗船手続きが22時の便しか間に合わなくて、出航時間まで待機することになりました。

はるばる来たぜ 函館〜♪ という気分だったのですが、そこからの国道5号線を走りながらの心境は良くも悪くも いろいろな思いが渦巻いていました。
夜が白みかかって行く中を走りつつ、札幌への到着は間に合うのか。
国道5号線を僕のトラック一台だけが 悠々と走っています。
この大地が明るくなってきて景色が好い分、逆に寂しくもなります。
それから、この会社のトラックには まだカーナビを搭載していなかった時代で、当時 頼りにしていたのは マップルとかJAFの道路地図帳。
今 初めてバラしますけれども、北海道の地図は大まかなものしか持参していなかったので
詳細な荷下し場所が わからないままに北海道を走ってきたのです。
小樽のコンビニで札幌の詳細市街地図を購入したのが午前6時過ぎでした。
でも、小樽から札幌までは一時間もかかりません。
約束の9時には まあまあ余裕で間に合って めでたしめでたしです。

今回の業務はトラック輸送のみが任務であったため、積み込んだ荷物には一才触りませんでした。
積み込み時と同じ状態での運搬が条件で、僕は荷台の中も確認していません。

到着先では大手運送会社のクルー数人がテキパキと荷卸作業を進め、一時間もかからないうちに 積み下ろしが完了しました。

実際のところ荷下しが終わった後の北海道でどうするとか、まったく余裕も無くて何も決めていませんでした。
ここまでの行程が予定以上にかかっていて かなり疲れていましたし、何よりも 帰り荷が付く予定の地まで少しでも移動しなければとの思いがありました。
このような業務の場合には、帰り道に どこかで新たな荷を積んで それを目的地で下ろして、それで ようやく 任務遂行となるのです。
荷台が空の状態で長い距離を走行するのでは、経費を費やすだけで まったく利益にはなりません。
そんな思いが強くて、すぐに札幌を離れました。

※ニセコ/羊蹄山と国道5号
羊蹄山と国道5号


☆復路/札幌~仙台~寒河江~京都~三田

 3日目【水曜日】
  札幌(10:30)→(国道5号線)→函館(16:30着17:30)
  →フェリー→青森(21:30着)→

 4日目【木曜日】
  仙台(4:00~[待機]~17:00)→山形寒河江(19:30)

 5日目【金曜日】
  寒河江(8:00~宵積み~10:00)→(主要ルート国道4号線~1号線)
  →伊賀上野(翌1:00泊)

 6日目【土曜日】
  伊賀上野(5:30)→京都(8:30~荷降ろし~9:30)
  →三田(11:30着)


復路では、札幌を発ってからしばらく走った昼過ぎ、国道5号線沿いの牧場みたいな喫茶店の駐車場が広々としていたので、そこへトラックを停めて うどんランチを食べた記憶があります。
今なら それを撮影してSNSに載せるなどして楽しむはずですが、当時はガラケーで しかもブログも存在しないような世の中だったので、そのお店が どこの何という名前のお店などとか全く記憶にありません。

函館に向かう走行中に会社から連絡が入り、とりあえず 明日(4日目 木曜日)は 仙台で待機とのことでした。
国道5号線沿いの海に沿った待避ゾーンにトラックを停車させた途端、崩れるように眠りについてしまいました。
函館から青森までのフェリーの時刻を確認し、少し余裕が持てたのか 安心したのでしょう。

目覚めて函館港から出航する夕方の便に間に合って、再度の船旅でも ゆっくりと休憩することが出来ました。

しかし、そこから トラックドライバー歴 半年という自分は、またまた無茶をしてしまいます。
今度は当然ながら、仙台まではオール下道の国道4号線を走行します。
絶対に朝までには仙台到着を決めていたので 休まずに走行しました。
7時間近くノンストップで走行し、予定していた仙台のトラックターミナルに着いたのが朝の4時。
で、結局夕方まで帰り荷の積み場指示の連絡がありませんでした。

十分すぎるほどの休憩をとって 山形県寒河江市まで移動。
荷受け場所からすぐの 道の駅 寒河江チェリーランドで朝まで待機。
またまた ゆっくりと休むことが出来ました。

翌朝、荷受け先の会社工場で建材を積んで、それを京都の木工店まで運搬する業務だったのですが、本来なら 帰り道は日本海側ルートをとしていたものの、往路で見た富士山をもう一度見てみたいということで、わざわざ蔵王の山沿いを超えて宮城県側に戻り、また東京経由の太平洋側ルートを辿ってしまいました。

ところが、なんということでしょう。
天気が良くなくて 帰りは富士山を見ることが出来ませんでした。

普通に市街地を通る場合は それなりの時間がかかってしまいますが、特に静岡県内の国道1号バイパスなどは信号ナシ高規格区間などもあって、これらを利用すれば かなりの時間を短縮して移動することが出来ます。
それでも かつて名阪国道での休憩場所として利用したことのあった、今回も休むポイントとして予定していた伊賀上野に着いたのは午前1時を過ぎてしまいました。
結局4時間ほどしか眠らない状態で京都の納品先を目指すことになります。

木工店で北海道からの帰りに山形に寄ってから納品に伺ったことを伝えると、労いのお言葉と同時に コーヒーを出していただきました。
それが とても嬉しかったです。

そこから三田の会社には亀岡経由で2時間で到着。

帰社してから燃料代や通行費などの支出報告をしたところ、社長からは
「これなら 舞鶴から小樽までの新日本海フェリーを使ったほうがよかったんとちゃうん?」
と言われて落ち込みましたが
「さっき 帰り便の荷受け会社から連絡あって、納品先のお店の人が 楽しい運転手さんが来て喜んでたと報告あったよ。
 こんなん初めてや。クラちゃん なんかしたん?」

何もしてなかったと思いますが、任務遂行出来て楽しくて、そして 少々眠くて、単にテンションが高かったのだと思います。

免許が無かった頃には、まさか自分がトラック運転手になって北海道へ行くなどとは夢にも思っていませんでした。
ただ不思議なことに、青森からフェリーで未明に函館へ上陸後、札幌まで国道5号を延々と走っていると長い坂道が続く風景と出会いました。
それは 自動車免許取得前に夢で見た光景と同じだったのです。

気づいてみれば、いつの日からか新入社員に一から十までを教える立場になっていました。
トラック運転手になりたての頃は、車庫入れなども下手で、配車先の荷受け係の人たちにボロクソに言われ続けていましたが、事務所配属となりトラックに乗務する機会が少なくなって、久しぶりに出入りしていた納品先を訪れた際、新たに取引先をご紹介をいただいたりと、いつのまにか信頼されるようになりました。

愛車もトヨタのヴィスタ、カルディナ、ホンダのレジェンドと、頻繁に乗り換えていた時期でもありました。

きっかけが習慣を変え、「必ずできる」という会長の言葉に潜在意識を刺激されたことなどを始め、ここで得た様々な体験が、自分の能力を信じ高めるという結果に導いてくれたようです。

30歳を過ぎて免許を取ったのですが、果たして免許があったから、敢えてこの仕事を選んだのでしょうか?それとも不思議と未来を予知していたから免許を取得したのでしょうか。

この経験を振り返り思うことですが、当初は何も役に立たず、まったく必要とされない自分でありました。
でも時が経ち、運送会社の社員として貢献出来たのは事実で、それが現状にも良い形で現れています。
夢をかなえたのも事実。
まずまずの「成功」だったのです。





ということで、今回の事例も 物流2024年問題を語るには欠かせません。
いよいよ来週 1月25日(木)19時より明石商工会議所で開催する第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会では、物流2024年問題対策を機にビジネスの未来を考える勉強会を盛り込みます。

詳細 & お申し込みページはこちらです。
https://akashi.jp.net/meeting.html

皆様、是非 ご参加ください。

  

2024年01月20日

物流回想録:未来への航跡006☆配達の矛盾

思い起こせば 運送会社にいた当時の宅配業務で
兵庫県三田市内を中心に神戸市北区全域や美嚢郡吉川町(現 三木市)、
西宮市北部(阪神流通センターを中心に名塩や生瀬なども含む)の地域を
連日 2tトラックで配達していた時期がありました。
宅配チーム全体で配達する荷物の量や件数を把握し検討しながら
それぞれが時間内にて全ての配達ができるように振り分けます。
可能な限り不公平の無いように振り分けするため
全員がこの全域を配達しているわけではありません。
それは ちょっとキツすぎます(笑)。

その頃は 三田市も神戸市北区も ほとんど知らない道は無かったのに
あれから20年近く経った今となっては、かなり忘れてしまっています。


さてさて
今回の物流回想録は その宅配事情についてのお話です。

【006☆兵庫県三田市 神戸市北区 周辺宅配業務】

ある朝、ご家庭にお届けする配達の時間指定が違う二つの荷物がありました。

「もう一つ午後配達のお荷物があるのですが… 今お渡ししてもよろしいでしょうか?」
という こちらの問いに、何か変だなぁと首をかしげる配達先のお客様。
お客様は 先日 知人から荷物を送るとの連絡があった際に
着時間は何時頃かと訪ねられたので「午後に」と伝えたそうなのですが
こちらが 何が何でも 時間指定を守らなければいけないだけのように受け止められて
事務的で合理性がなく融通のきかない奴だと思われたみたいです。

荷物の大きさや用途によって配達時間を区別する場合もありますので、
宅配業者からは判断し辛く そのような応対をしてしまいがちです。
スペースを取って邪魔になったり 他の荷物と混同しそうな荷物でしたら、
荷受側が荷送側に対して 午前と午後を分けた時間指定をする場合があります。
実際に僕は そういった荷物を同じ時間に配達してしまいクレームになりました。
とは言っても、このような例は 実際は会社関係が殆どで
一般家庭への配達では めったにないことなのかもしれません。
しかし、DVDや書籍類等のように発売日が決まっているような品物を
指定日前日までに配達してしまうのは 明らかにルール違反。
やはり配達指定日同様に 時間も指定があれば 厳守が基本なのです。

この例のように 同一日に複数の荷物で それぞれ別の「時間指定」がある場合には
自分でも変だと思いながら このような場合には 絶対に確認してしまうのですね。
それが こちらからは当然といえば当然なんですが
お客様には やはり「変!」と思われてしまうようで… なんとも難しい…


当時はこのようなことだけでも なんとなくモヤモヤとして
そんな些細なことが いろいろと積み重なって精神的にも大変だったのですが
今の宅配業者さんはもっと大変なような気がします。
プライバシーがなんじゃらで 表札の無いご家庭も増えているとか。
マンションなどでも宛先に部屋番号が未記入だったり
確認のために伝票に記載されている電話番号にかけた結果が
不明な番号からの着信は拒否設定にしていたりだったり
先日 何かで見ましたが、そんな配達先に限って通販の利用が多い傾向にあって
あちらこちらの宅配業者さんを悩ませているようですね。

運送屋だけに、やはり「運」は 大いに関係するのでしょうか。

最近は宅配ロッカーの利用や営業所での直接引き取りを勧めたり
効率化を図ったりもしていますが… なんだかなぁ…

荷物を受け取る側の方も 配達される方のことを もう少し考えないと
この業界の行く末には 明るい未来など やってこない気がします。

神戸市北区鈴蘭台
※坂道が多い神戸市北区鈴蘭台付近
  

2024年01月19日

物流回想録:未来への航跡005☆車輌不足!配車不能!積荷をおろせ!

今回は 運行コースの紹介ではなく、物流業にとって重要な倉庫作業についてのお話です。


【005☆集荷物等倉庫保管業務】

郵便や小包、宅配貨物などが、まだ目的地に届けられる前に、
一時的に集配拠点で留め置かれることがあります。
これを「留置(トメオキ)」と呼びます。
ただし、ここで留置を「リュウチ」と読んではいけません。
それでは倉庫ではなく留置場になってしまうからです(笑)。

金曜日に宵積みの荷物は、通常、翌週月曜日の朝に配達されることが多いですが、
土日でも仕事をしている会社は決して少なくありません。
当然、休日の配車依頼も絶えません。
トラックの運搬用途は荷台の違いによって様々であり、
それに応じて必要なトラックも限られてしまいます。

仕事内容やスケジュールを考慮して、
運転手とトラックを選定し、配車が行われます。
しかし、トラックがあっても中に荷物が積まれていた場合どうなるのでしょうか?
この場合、荷物をトラックから降ろして、一時的に倉庫内に保管します。
これにより、トラックの荷台スペースが空になり、新しい配車に備えるのです。
そして、仕事が終わった後には、倉庫に保管してあった荷物を
再びトラックに積み込むことになります。

パレット積みならまだしも、手積み手降しの荷物なら、
正直 ブチ切れそうな思いでした(笑)。
ただし、実際には荷主さんの多くが、
留置のトラックから荷物を移動させることを禁止しているため、
このような積荷入れ替えのケースは実際には数えるほどしか行なっていません。
かなり大変だったから とっても記憶に残っているのです。

というか、この作業を荷主に伝えず安易にやってしまうと かなり問題です。
預かった荷物はトラックの荷台に積み込んだ瞬間から荷卸するまで
絶対に触らないというのを基本として業務遂行するべきです。

当時の運動量は、今の数十倍、いや数百倍かもしれません。
その頃は筋肉質な体で、ダイエットなんて無縁でした。
そうして、どこに行ってもめちゃくちゃモテていました。
本当ですよ。はい(・o・)!

倉庫内作業


ということで、今回の事例も 物流2024年問題を語るには欠かせません。
いよいよ来週 1月25日(木)19時より明石商工会議所で開催する
第144回ふれんどらいん異業種ビジネス交流会では
物流2024年問題対策を機にビジネスの未来を考える勉強会を盛り込みます。

詳細 & お申し込みページはこちらです。
https://akashi.jp.net/meeting.html

皆様、是非 ご参加ください。